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P-47の編集履歴

2016-09-28 22:44:09 バージョン

P-47

ぴーよんじゅうなな

第二次世界大戦中にリパブリック社が開発し、アメリカ陸軍に制式採用された空冷単発単座の高高度戦闘機。愛称は「サンダーボルト」

詳細はwikipedia「P-47_(航空機)」にて


概要

第二次世界大戦中にリパブリック社が開発し、アメリカ陸軍に制式採用された空冷単発単座の高高度戦闘機。愛称は「サンダーボルト」、「ジャグ」。

単発機ながら大型で重く、大出力エンジンにより縦方向の機動に優れる。戦闘爆撃機としての活躍が有名。

開発前史

リパブリック社の前身は、元ロシア海軍のエース・パイロット、アレクサーンドル・セーヴェルスキイ(アレキサンダー・セバスキー)がアメリカへ亡命後の1931年に設立したセバスキー航空機会社で、彼自身が社長・設計・テストパイロットを兼任する非常に小さな設計事務所であったが、アレクサンダー・カルトベリを主任設計者に雇い、1934年のアメリカ陸軍戦闘機競争試作に参加した。

競争試作でP-35が制式採用され、初めてアメリカ陸軍からの受注を得る。引き込み脚や密閉式コクピットを備えるアメリカ陸軍初の近代的な戦闘機であった。


P-35の胴体下部に排気タービン(ターボ)加給機を搭載した高高度試作機AP-4は、機体が太く、内側引込式の主脚を持ち、空力特性も改善された。

1939年5月の評価試験ではカーチス社のXP-40(後のP-40)に敗れたが、陸軍は評価試験の為にYP-43「ランサー」として13機を発注した。


6月、利益が上がらないセバスキー社は、リパブリック社として組織を再編成した。


YP-43の飛行試験の結果、陸軍は、生産型のP-43をさらに54機発注。

しかし、ヨーロッパ戦線での戦訓からP-43は性能不足なのが判明し、リパブリック社は発展型のAP-4JとAP-4Lを並行して開発し、AP-4JはP-44として80機の受注を得たが、これも性能不足と判り全てキャンセルされた。リパブリック社は経営難に陥る。

開発

1940年、AP-4Lを基に、軽量戦闘機AP-10が開発された。陸軍はこの計画を支援し、XP-47の制式名称を与えた。しかし、XP-47もドイツの戦闘機に敵わないのが判り、リパブリック社はXP-47A案を提示するが却下された。カルトベリはXP-47を全面変更型した機体案を陸軍に提示し、XP-47Bの名称で試作機が発注された。

XP-47Bは2,000馬力級の空冷二重星型18気筒P&W R-2800「ダブルワスプ」エンジンとターボ加給機を搭載するため、機体は巨大なものとなり、設計者のカルトベリも「こいつはスタイルのいい恐竜になる」と予言した。両翼内には12.7mm機銃を計8挺装備する事になっていた。コクピットは広くて居住性が良く、エアコンまで備えている。


陸軍はリパブリック社救済と生産ライン維持のため、P-43を80機生産させる事にした。

同時期、レンドリース法に基き、中華民国支援のためP-43Aを改修した「P-43A-1」も108機生産された。


P-47B

5月6日、XP-47Bが初飛行し、素晴らしい性能を示した。陸軍にP-47Bとして制式採用され、171機が発注された。

1943年1月、イギリスに配備され、4月8日、ドイツ爆撃に向かうB-17の護衛戦闘機として初めて実戦に参加した。


大型機ならではの苦悩も付き纏った。

・長い離陸距離が必要で、着陸速度も速く、離着陸が難しい。

・大出力のため、操縦が難しい。

・動翼を動かすのが大変で、羽布張りの動翼は高高度で破れ易い。

・急降下時に遷音速域に入るため衝撃派による震動が起こる。

・異常に舵が重い。

いずれも当時未知の領域であった。

動翼の全金属化、ターボ加給機の改良などの改修が行われた。


P-47C

陸軍はP-47Bを改修したP-47Cを57機発注し、1942年9月に最初の機体が引き渡された。

その後もP-47Cは胴体の延長、増槽取付ポイントの追加、エンジン装換などが行われ、少しづつ改良された。

当時の航空機には珍しく、「高度が上がるほどエンジンがよく回るようになる」と評判だった。


P-47D

P-47の生産が追いつかなくなり、インディアナ州エヴァンズヴィルに新工場が建てられた。当初、「P-47D」はエヴァンズヴィル工場製のP-47の事であった。


P-47Dは12,602機が生産され、シリーズ最多生産型となったが、絶え間ない改良が加えられ、D-25から採用されたバブル・キャノピーなどもあり、別物のような外見の機体になって行った。

機内タンクの増設により航続距離は1,600kmを超えた。


P-47N

1944年9月に初飛行した、主翼を延長して燃料タンクを増やした最終型。航続距離は3,200kmに達した。対日戦向けの長距離型で、B-29の護衛も視野に入れ開発されている。

1945年春、伊江島硫黄島に配属されたが、主な任務は地上攻撃だった。


実戦において

降下速度が速く、大出力エンジンにより上昇力も強いため、一撃離脱戦法を得意とした。

敵であるドイツ空軍パイロットからの『P-51よりP-47の重武装の方が恐ろしい』という評価もある。

P-47D以降は太平洋戦線にも配属され、対日戦で活躍した。

P-47に搭乗した主なエースパイロットとしては、

フランシス・S・ギャビー・ガブレスキー中佐:31機撃墜

ロバート・S・ボブ・ジョンソン大尉:28機撃墜

ヒューバート・A・ハブ・ゼムキ大佐:20機撃墜

…などが挙げられる。


イギリスに配属されたP-47はドイツ爆撃に向かうB-17B-24などの護衛を務めたが、帰り道、ついでに地上目標を銃撃した結果、強力な戦闘爆撃機でもある事がわかった。空冷エンジンを搭載し、火災対策が厳重なP-47は被弾にも強い。

1943年末にP-51に爆撃機護衛の仕事を奪われると、ますます地上攻撃用の装備が拡充され、P-47D-40ではHVAR 127mmロケット弾用のコンパクトな新型ロケット・ランチャーが両翼下に10基取り付けられた。

ドイツ軍で言うところの「ヤーボ(Jabo)」の代表であった。


1948年、アメリカ陸軍航空隊から退役。

1950年、朝鮮戦争勃発時に残存する機体を集めたが、充分な機数が揃わず使用されなかった。

1953年、アメリカ州空軍から退役。


ほぼ第二次世界大戦で使い尽くされたP-47だったが、その意義は大きかったと言える。

また、P-38等と共に、航空用ターボ加給機を製品として完成させるのに貢献した。


性能諸元(P-47D)

全長11.0m
翼幅12.4m
空虚重量4,800kg
エンジン空冷二重星型18気筒P&W R-2800ダブルワスプ×1
最大出力2,430馬力
最高速度697km/h
航続距離1,657km
実用上昇限度12,800m
乗員1
固定武装ブローニングM2 12.7mm機銃×2
爆弾908kg
ロケット弾127mm×10

余談

A-10サンダーボルト

「サンダーボルトの愛称はA-10が引き継ぐことになった。

P-47は高高度戦闘機のはずだが、対地攻撃の印象の方が強かったのだろう。


逸話

1943年6月26日、ロバート・S・ジョンソン大尉搭乗のP-47はエゴン・マイヤー中佐のFw190に全弾叩き込まれても火もつかなかった。マイヤー中佐は敬礼し引き揚げていった。ジョンソン大尉が基地に帰還後、自機の風穴を数えたが、200を越えたところで止めたという。


フレンドリー・ファイア

しばしば地上の友軍からFw190と間違われて誤射されるという被害を受けた。P-47の胴体は左右方向にはさして幅はなく、真下からの機影はFw190に似通っていたた。

(詳細はFw190の記事にて)


納屋の戸

空軍技術局長が設計者のヴィリー・メッサーシュミットにBf109航続力の増加を求めたところ、メッサーシュミットは「あなたの望むものは、速い戦闘機なのか、それともただの納屋の戸なのか」と怒鳴りつけた。

後日、メッサーシュミットは件の技術局長と共に防空壕に逃げ込む羽目になり、技術局長は機銃掃射をかけるP-47を指差し、「ほら、そこにきみの言った納屋の戸が飛んでいるぞ」とやり返したという。

(詳細はBf109の記事にて)


トラック

P-47の登場当初、大日本帝国陸軍は「こんなトラックで空中戦なんて出来るのか」と嘲笑っていた。

ところが大戦末期、アメリカ軍のB-29爆撃機迎撃のため高高度迎撃機が必要になり、陸軍は2,000馬力級エンジンにターボ加給機を備えた戦闘機を試作した。キ87キ94IIという、殆どP-47並の機なみの大型機である。

2,000馬力級エンジンにターボ加給機を備えたら、どうしてもP-47の様な「トラック」になるという事であり、当時の関係者には「何も判っていなかった」とその不明さを恥じる人もいる。


雷電

大日本帝国海軍は性質も、初期における欠陥も、英訳すれば名前も同じという機体を造った。


外部リンク

wikipedia「P-47_(航空機)」

関連タグ

レシプロ戦闘機 アメリカ陸軍 リパブリック 戦闘爆撃機 雷電

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