概要
女性少女漫画家の先駆け。満州・ハルピンで中国人やロシア人に囲まれて育ち、日本語と中国語をちゃんぽんで話していた。この経歴は代表作の『フイチンさん』に反映されている。満州育ちなので、かなりテンションが高い。
1929年、小学校卒業と同時に日本へ帰国。少女漫画家の先駆け松本かつぢの作品に衝撃を受け漫画家を目指すようになる。敬愛する松本に師事し、1935年にデビュー。そのころは少女誌でも男性作家ばかりで、女性漫画家などは考えられもしない時代だった。
1943年に満州に渡り終戦、日本に引き揚げ少女漫画を描く。手塚治虫の登場により漫画界の潮流が明らかに変わっていた時代にあって、少女漫画家として大きな人気を得て多数の連載を得た。
影響
上田の作風はあまり後続の少女漫画家によって引き継がれず、1960年代以降の女性少女漫画家の時代を作り出したのは、主に手塚の作風を発展させた水野英子と後続の作家たちであった。同じ満州出身のちばてつやや、妹弟子である田村セツコは上田の影響を公言しているものの、両人とも当時の少女漫画家の主流とは外れており、同時代の少女漫画への直接的な影響は限られたものだったといえる。本人は「長谷川町子さんや手塚さんにはかなわない」と言っているが、みなもと太郎は1980年代に当時でも上田作品が十分流通しうる旨を力説している。
しかし、後世への影響という点では1980年代になって遥かに世代が下の高野文子に大きな影響を与え、そして高野経由で多くの近年の作家に影響を及ぼしている点は特筆される。高野は初期には萩尾望都の影響を受け、その後もさまざまな作家の影響を受けて一作ごとに画風を大きく変えていたが、夫である編集者・秋山協一郎から上田の本を紹介されてのめり込んだいう。
現在彼女の生涯を元に描いた伝記漫画『フイチン再見』が村上もとかによりビッグコミックオリジナルで連載されている。