イスラムの開祖としてのムハンマド
フルネームはムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ・イブン=アブドゥルムッタリブ。570年頃にアラビア半島のメッカに生を受けた。25歳頃にハディージャ・ビント・フワイリドと結婚して4人の子を儲けるも、悩みを抱いて瞑想にふけるようになる。610年8月10日、メッカ郊外の山でジブリール(ガブリエル)の啓示を受けて預言者となる。
天馬ブラークに乗って天界に行った際には過去の預言者たちも会ったという。
彼が預言者として受けた啓示であるクルアーンと、ムハンマド自身の言行の記録であるハディース集がイスラム教の聖典となっている。
預言者となったムハンマドはアッラーの教えを説いて回るが迫害に遭い、転戦の日々を余儀なくされる。少数民族の多神教ばかりでなく、ササン朝やビザンツ帝国と言ったキリスト教やゾロアスター教の大国ともにらみ合うなど多難を乗り越え、630年にメッカを奪還してイスラムの聖地たらしめている。2年後の632年、ムハンマドは戦いと布教にかけた人生を終えた。
絵画表現
イスラム世界にはムハンマドを描くことをタブーとする解釈も存在し、あるムハンマドの伝記映画では彼の目から映る光景を映像化しており、彼自身の姿は画面には映らない。
ムハンマド風刺漫画問題では、ムハンマドへの侮辱的要素だけでなく、彼の姿を描く事の是非も問われた。
ただし、歴史上ではムハンマドを描いた絵は存在していた。その多くはメイン画像のように布を被ったものだが、中には顔を描いたものもある。
ムハンマドとネコ
ムハンマドはネコ好きであったとされ、ネコに関する逸話もいくつかある。
その為かイスラム世界ではネコを大切にする傾向がある。
人名としてのムハンマド
イスラムの預言者に因む名前として好まれ、メフメト・ムハメット・モハマドなど多く存在する。
実在の人物
アラーウッディーン・ムハンマド:ホラズムの皇帝。モンゴル帝国に敗れて憤死した。ムハメットとも言う。
メフメト2世:コンスタンティノープルを征服したオスマントルコ皇帝。
モハンマド・レザー・パフラヴィー:共和制移行前のイラン皇帝。我が国と石油外交で親密な関係を築かれ、大勲位菊花章頸飾をお受けになられた。
モハメド・アリ:アメリカのボクサー。プロ転向後にネーション・オブ・イスラムの信徒と言う事を明かし、ムハンマドと指導者アリーに因む名に変えた事で有名。