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人種的差別撤廃提案の編集履歴

2016-12-23 22:05:57 バージョン

人種的差別撤廃提案

じんしゅてきさべつてっぱいていあん

1919年のパリ講和会議において、日本が出した提案。

概要

第一次世界大戦における戦後処理を行うために開かれた、パリ講和会議(平和会議とも)において、日本の代表である牧野伸顕次席全権大使が議題に出した提案である。国際会議において、人種差別撤廃を世界で初めて明確に主張した議案とされる。


解説

この提案の目的は2つあり、ひとつは日本からの移民が欧米諸国では白人ではないために差別される傾向がったので日本政府としてそのようなことは認められないと世界に示すこと。そして講和会議後に発足する国際連盟常任理事国に指名されていた日本が人種を理由に日本の発言権を削られないための予防線を張る狙いがあった。


当初は規約条項に盛り込む形で提案したが、人種差別が常態化していた欧米諸国には急進的すぎて受け入れにくい内容であり、植民地大国であったイギリスをはじめとした列強諸国や、大量に押し寄せる日本人(を含むアジア人)移民に脅威を感じていたアメリカなどが強硬に反発。それ以外にもこれは国際連盟による内政干渉の正当化の前例に利用されないかというもっともすぎる意見もでたため、ひとまず日本は提案をとりさげた。


そして修正案として拘束力がない規約の前文に盛り込むことを提案。これにイギリスは「無意味なら書く必要がない。意味があるなら認めらない」と反論したが、「理念をうたったもので、これが認められないというなら他国を自国と平等と見てない証拠」と日本は返し、採決を望んだ。


このやりとりが効果的だったのか、賛成11票、反対5票で賛成多数だった。しかし議長だった当時のアメリカのウィルソン大統領が「全会一致ではない」として議長権限で否決した。アメリカ国内で内政干渉だという主張が根強く、上院議会が「人種的差別撤廃提案が採択されたら、アメリカは国際連盟に参加しない」と議決までされてしまったため、とても受け入れられない状態だったらしい(もっとも伝統的な孤立主義体質のせいで、アメリカは結局最後まで国際連盟に参加しないのだが、それはまた別の話)。


これに日本の代表団は反発したが、「本件のような重大な問題についてはこれまでも全会一致、少なくとも反対者ゼロの状態で採決されてきた」とウィルソンと返されて、日本代表団のリーダーである牧野も納得した姿勢を示したので、日本は否決を受け入れた(ただし議事録にこの提案の否決までの過程を明記するよう念押しはした)。


賛成多数にもかかわらずアメリカによって一方的に否決されたという現実は、日本の国民の反感を煽り、欧米諸国との関係を優先してこれを受け入れた政府への反発につながった。これが太平洋戦争を引き起こした一因であると昭和天皇が独白録で述べている。

またアメリカにおいても国内で差別されていた黒人たちが自国政府の対応に激怒し、暴動を起こしたりするなどの問題に発展した。


提案への評価

もとより拘束力のない理念的な内容であり、この提案が可決されたところで実行力を持ち得たのかは疑問視されている。


後の首相石橋湛山は、『人種差別撤廃要求の前に』において「自らが中国人、朝鮮人を差別しながら、この提案をしたところで何の権威があろう」と述べているように、当時の日本もアジア諸国に対し英米と同様の帝国主義政策をとり、アジアの人々を当たり前のように差別していた、という矛盾があった。


関連タグ

近代史 政治 大正

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