普通の鉄道サイズの車両に比べ、車両購入費や運行コストが削減できるため、国鉄の廃止路線を引き継いだ第三セクター鉄道など、旅客の少ないローカル線を中心に導入された。
ヨーロッパにおいては特に1950年代より西ドイツやチェコスロバキアなどで量産され輸送量の少ない線区で使用された。
既に廃止されているが、青森県の野辺地-七戸間を走っていた「南部縦貫鉄道」のレールバスが代表的存在。
日本でも1950年代にキハ10000・10200(キハ01~03)形が作られたが収容力の低さや乗り心地が悪いこと便所のない点でも一般的な気動車に比べて劣っていたが耐用年数を迎えた1960年代まで使用された。
1980年代から第三セクター鉄道を投入されたものの、特に小型の二軸車を導入した路線ではラッシュ時の収容力に限界があった。
さらに、決定打として1991年に信楽高原鉄道列車衝突事故が発生する。衝突相手の国鉄形気動車(キハ58系)が運転台以外はほぼ原形をとどめていたのに対し、SKR202は原形をとどめないほど木っ端微塵になってしまい、さらに2両目のSKR204も復旧不可能で事故廃車となった。
上記の事情から1990年代後半以降はより一般型気動車に近いスタイルの車両が投入されるようになって来ている。さらにはいすみ鉄道のようにより古い国鉄形気動車を購入する(ただし単純に置き換えというわけではなく集客の一環としての部分もある)例も出てきており、日本の鉄道では運用し難いという厳しい現実を実証してしまった。