概要
抜刀隊は、明治10年に西南戦争 田原坂の戦いで新政府軍に従軍していた内務省警視局職員(後の警視庁警察官)を中心に臨時に組織された白兵戦専門の部隊。元新撰組三番隊組長の斎藤一が所属していたことでも知られる。
その名の通り、隊員の武器は日本刀のみである(抜刀隊を描いた浮世絵では槍を構えている隊員もいるが)。
「抜刀隊」という名称は、剣術に長けた警官の特殊部隊を投入する旨を伝えられた陸軍卿山縣有朋が、あくまで軍隊ではなく警察官の部隊であるという意味を込めて選んだもの。
西郷軍に奇襲をくわえて、膠着した戦線に一気に突破口を拓く重要な役割を果たした。
一方で、戦果の陰で犠牲となった警察官の数も非常に多く、全滅した部隊も少なくなった。
旧会津藩の隊員が戊辰戦争での雪辱を晴らすために多く志願したとされるが、実際は薩摩出身者が大多数を占めていた。
また、旧会津藩士の隊員が「戊辰の復讐」と叫びながら西郷軍を13人立て続けに斬り伏せたという記録があるが、これは当時新聞記者であった犬養毅が書いた記事が基であり、犬養本人も実際に戦場で聞いたわけではないので信憑性が低い。
後に行進曲「抜刀隊」が作られ、警察の式典で現在まで広く演奏されている。
大日本帝国陸軍でもこれを基に作られた軍歌「陸軍分列行進曲」を採用した。
行進曲「抜刀隊」
我は官軍 我敵は
天地容れざる 朝敵ぞ
敵の大將 たる者は
古今無雙の 英雄で
之に從ふ 兵は
共に慓悍 決死の士
鬼神に恥ぬ 勇あるも
天の許さぬ 叛逆を
起しゝ者は 昔より
榮えし例 あらざるぞ
敵の滅ぶる 其迄は
進めや進め 諸共に
玉散る剣 抜き連れて
死ぬる覚悟で 進むべし