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督戦隊の編集履歴

2018-01-29 22:25:52 バージョン

督戦隊

とくせんたい

督戦隊は戦闘から逃亡または降伏する自軍兵士に対し強制的に戦わせる部隊。

概要

「阻止部隊」、「督戦隊(Загради́тельные отря́ды)」は、軍規の維持、戦場からの軍人の逃亡の阻止、スパイや後方攪乱者もしくは脱走兵の逮捕、戦場からの脱走者や遅延した軍人を復帰させるため、正規軍の背面に配備された部隊。督戦隊は様々な国家の軍内部に設立され、すでに古代には、危機的な状況下において(死刑も含めた)懲罰を遂行すべく、きわめて士気・心理的に準備された軍人たちや特殊部隊において始まっていた。いくつかの別名には次のようなものがある。「野戦警察(Полевая полиция)」、「憲兵隊(Жандармерия)」など。第二次世界大戦中のドイツも「野戦憲兵隊(Feldgendarmerie)」を編成した。

きわめて有名なものとしては、労農赤軍におけるトロツキーの督戦隊、ソ連軍におけるNKVD部隊(国境警備隊、国内軍など)が挙げられる。

それを除くと、ロシア内戦の時期に「闇商人」や「投機屋」との闘争を目的に武装された労働者義勇兵も督戦隊と呼ばれていた。

逃亡等が発生しやすい士気の低い兵士が存在する軍隊では必要となるものの、この任務のみを行う部隊は基本的にあまり例を見ない。

督戦隊の歴史は非常に古く、歴史家V・A・アルタモーノフ(アルタモーノフ、ヴラジーミル・アレクシェーエヴィチ)はすでに古代には騎兵による督戦隊の存在を指摘している。

そういった兵はすでに古代ギリシアの歴史家クセノフォンの時代には存在していた。紀元前4世紀のその著作『キュロスの教育』において、歴史家は後方の横隊について書き記しており、それはこのように機能するという。

σὺ δέ, ὃς τῶν ἐπὶ πᾶσιν ἄρχεις, τελευταίους ἔχων τοὺς ἄνδρας παράγγελλε τοῖς σαυτοῦ ἐφορᾶν τε ἑκάστῳ τοὺς καθ᾽ αὑτὸν καὶ τοῖς μὲν τὸ δέον ποιοῦσιν ἐπικελεύειν, τοῖς δὲ μαλακυνομένοις ἀπειλεῖν ἰσχυρῶς: ἢν δέ τις στρέφηται προδιδόναι θέλων, θανάτῳ ζημιοῦν. ἔργον γάρ ἐστι τοῖς μὲν πρωτοστάταις θαρρύνειν τοὺς ἑπομένους καὶ λόγῳ καὶ ἔργῳ: ὑμᾶς δὲ δεῖ τοὺς ἐπὶ πᾶσι τεταγμένους πλείω φόβον παρέχειν τοῖς κακοῖς τοῦ ἀπὸ τῶν πολεμίων.

(Ξενοφών, Κύρου Παιδεία/ΣΤ, 3:27)

「己の務めを果たす人間を鼓舞すること、弱気な人間を恐れによって抑制すること、背面で向きを変えようとするもの全員を死によって罰すること、臆病者に敵よりも大きな恐怖を植えつけること」

(クセノフォン『キュロスの教育』第6巻第3章)

εὖ δ᾽ ἴσθι, ἔφη, ὦ Γωβρύα, [ἵνα καὶ τοῦτ᾽ εἰδῇς,] οἱ πολλοὶ ἄνθρωποι, ὅταν μὲν θαρρῶσιν, ἀνυπόστατον τὸ φρόνημα παρέχονται: ὅταν δὲ δείσωσιν, ὅσῳ ἂν πλείους ὦσι, τοσούτῳ μείζω καὶ ἐκπεπληγμένον μᾶλλον τὸν φόβον κέκτηνται.

(Ξενοφών, Κύρου Παιδεία/Ε, 2:33)

「人間の集団は、自信に満ちていると、不屈の闘志を抱くものだが、もし彼らが怖気づいていると、数が多ければ多いほど、彼らは恐怖に屈するものである」

(クセノフォン『キュロスの教育』第5巻第2章)

ここにクセノフォンは後方横隊の第一義を明確化している。すなわち、集団パニックに陥っていない時に、脱走兵を根本から阻止すること。

第一次世界大戦中の東部戦線では、隊伍の秩序回復のため、ロシア軍の司令部には類似の懲罰手段に頼ることが求められていた。最高総司令部の命令以前には実現しなかったが、前線と軍の指揮官には、この指令に関する非常に厳格な態度が存在していた(指揮官たちの命令――第2軍のV・V・スミルノフ〔スミルノーフ、ヴラジーミル・ヴァシーリエヴィチ〕将軍からの1914年12月19日、および第8軍のA・A・ブルシーロフ〔ブルシーロフ、アレクセーィ・アレクセーエヴィチ〕将軍による1915年7月5日の命令など)。1917年、軍の規律が解れ始めた時、ロシア軍の指揮官たちは再度の規律の回復を求められた。すなわち、この時期には阻止機能も担当する「突撃強襲大隊」、「死の大隊」が広範に配置されていた。

事例等

 この部隊が活動する状況としては以下のとおりである。

  • 強制徴募により充当したり懲罰部隊など、士気の低い部隊
  • 傭兵異民族など、忠誠心が低く裏切りが予測される部隊
  • 負け戦が確定している戦闘など、状況が圧倒的不利な状態

などがあげられる。

国の例

 近代以前では割とメジャーであったとされ、オスマン帝国絶対王政下のフランスなどで見られたとされる。

 近代以降では徴兵制が採用され、兵士の士気が上がったため以前よりも見られなくなったとされるが、特に赤軍系の軍隊で多く確認され、特に大祖国戦争におけるソ連軍が有名。また、日中戦争などで強制徴募により兵士を賄った国民革命軍などでもこの種の役割を担った存在は知られている。さらに、ナチスの軍隊においても第二次世界大戦末期においてこの状況が見られた。

関連項目

軍隊 部隊 同士討ち

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