モロゾフ(Morozov、Morozoff)とは
「モロゾフ」という名の人物
実在の人物
- ニコライ・モロゾフ … フィギュアスケートのコーチおよび振り付け師
- フョードル・ドミトリエヴィチ・モロゾフ … モロゾフ株式会社の創業者
- ヴァレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフ … フョードル・ドミトリエヴィチ・モロゾフの息子。コスモポリタン製菓の創業者。
モロゾフ株式会社
菓子の販売店舗を中心に、カフェ、レストランを全国に展開している。
代表的な商品は、レモンの香りと酸味の効いた、デンマークチーズたっぷりの濃厚なチーズケーキ、こってりと甘く滑らかな触感が自慢で、食べ終わった後は耐熱ガラスの容器がコップとして使われることで有名なプリン、上質な素材で作られたチョコレートなど。同社はバレンタインデーにチョコレートを贈る習慣を始めた会社のひとつとしても有名。
……あれ?ロシア関係なくね?と疑問に思われた方は下記をどうぞ。
モロゾフ家の悲劇とコスモポリタン製菓
元々は、革命を逃れた白系ロシア人である、モロゾフ一家が神戸で経営していたチョコレート店であった。
経営は順調だったが、帳簿を見せようとしない出資者の横領を疑ったモロゾフ一家は不信を募らせ、やがて両者の対立は訴訟にもつれこんだ。しかし日本語の読み書きができないモロゾフ家にとって裁判は終始不利に働き、結果として名義料や土地建物の代金と引き換えに、商標を失い、経営から手を引くこととなってしまった。
- モロゾフに出資した材木商には、政治的・思想的な対立が背景にあった可能性も噂されている。
以降、菓子店『モロゾフ』はこうしたイメージを払拭するかのように、ロシア菓子とは異なる商品の開発を行っていった。
一方、モロゾフ家はその後別のチョコレート専門店を立ち上げ、第二次世界大戦後には「コスモポリタン製菓」として再び神戸を代表する菓子メーカーとなった。しかし長引く不況を乗り切ることができず、コスモポリタン製菓は2006年に廃業している。
余談
- 対照的な例として、神戸発のもう一つの有名洋菓子店で、バウムクーヘンを日本に紹介したユーハイムの物語が挙げられる。同社は創業者のユーハイム夫妻と日本人社員たちの絆の強さで知られ、今も創業当初から受け継がれる理念にのっとった菓子作りが行われている。
- 手塚治虫の晩年の名作「アドルフに告ぐ」の主な舞台は戦前・戦中の神戸市。主人公の一人であり、元町でパン屋を営むユダヤ人一家の息子、アドルフ・カミルのセリフで「モロゾフ言う白系ロシアの菓子屋のおっさんが……」と、ちらりとモロゾフ家の名が登場している。
- 亡命白系ロシア人の悲劇としては、日本球界にその名を刻む300勝投手、ヴィクトル・スタルヒンの物語もよく知られている。日本で育ち、無国籍ながら自身を日本人と認識していたスタルヒンは、幼いころから様々な差別に悩まされながらも驚異的な活躍を見せた。しかし、戦時中は「敵性国民」として軟禁されるなど、日本と言う国が彼に与えた待遇はあまりにも無残なものだった。