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福岡城の編集履歴2018/11/26 19:22:44 版
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福岡城

ふくおかじょう

福岡城は二種類存在する、この項目では主として筑前国、現在の福岡県福岡市にあった城を解説する。

福岡城は以下の二つが存在する。

  1. 筑前に存在した近代城郭
  2. 陸奥国、現在の岩手県二戸市に存在した九戸城の別名。盛岡城に一部記述あり

この項目ではpixivにおいてタグとして用いられる前者に関して説明する。

概要

 筑前那珂郡(現福岡県福岡市中央区)にかつてあった。雅称、舞鶴城、別名石城

 関ヶ原の戦い東軍に与し転封されてきた黒田長政により築かれた。城名は黒田氏の故地・備前国福岡にちなむ。

 現在城跡は陸上競技場裁判所美術館、果ては民間住宅地まで混在する状態になっているが、徐々に公園としての整備が行われつつある。

 ちなみに旧三ノ丸にはかつての西鉄ライオンズ福岡ダイエーホークスの本拠地、平和台球場があった。さらにその下には奈良時代平安時代の外交施設である鴻臚館の跡が見つかっている。

歴史の詳細

 この地は古代より人が住んでいたと見られ弥生時代遺跡が見つかっている。また古代の外交施設である鴻臚館の遺構が発掘されていることからもわかるとおり、発展していた地域であった。

 この城は以前の城であった名島城(立花鑑載が山城であった立花山城の支城として戦国時代に建築した城であり、小早川隆景に与えられた際水軍拠点として本城とする、後に発展の余地なしのため廃城となった)が城下町の発展が見込めないことにより慶長6年、黒田長政により建築開始、慶長12年に竣工。

 この城は西日本最大の城郭として知られ、約25万平方メートルあったといわれている。

 幾度かの改築を行い、最後の姿は梯郭式平山城となっていた。なお、天守閣に関しては正保3年の時点では現存しておらず、これはそもそも建築されなかったのか、それとも建築当初は存在したが江戸幕府を恐れて破壊したかは不明である。

 明治時代には大名屋敷跡に福岡県庁が置かれ(移転済み)、廃城令発布により存城処分となるものの、陸軍の管理下におかれ、歩兵連隊・第24連隊の本営となり建物の多数は解体された。城の西側は払い下げられ、一部私有地となり住宅が存在、またの一部は公園(大濠公園、美術館もここにある)となっている。

 第二次世界大戦終了後、敷地は公共のものとなり、裁判所が移築されたり、国民体育大会のため陸上競技競技場が作られたり、それを基として平和台球場が建設されたりした。現在では櫓4棟・門3棟、石垣、堀が残り、公園(舞鶴公園)として整備されている。

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