概要
江戸時代の終わり頃の1859年7月1日に開港。
アメリカとの日米修好通商条約に基づくもので、当初から海外との貿易のための港とされた。
現在の横浜港は、東側は川崎市との境の大黒ふ頭、西は横須賀市に近い金沢ふ頭といった具合に、横浜市域の海岸部の広い範囲に港湾設備が存在する。
大さん橋
特に有名なのは山下公園の北端、国内外の豪華客船が接岸する大さん橋ではなかろうか。
大さん橋には、国際旅客船ターミナルが設置されており、通関 出入国手続きや手荷物検査などを受けることができる。
国際航路や日本国内を巡るクルーズ船のみならず、東京湾内を巡るクルーズ船も発着するため、手軽に訪れることも可能。
とはいえこの大さん橋、ベイブリッジの内側(市街地側)に存在するのだが、船によってはマストが高いためベイブリッジをくぐることができず、大さん橋に接岸できないという問題を抱えているらしく…
再開発
既に述べたとおり、横浜港は江戸時代の終盤から国際貿易港として使用されてきた。
しかしながら、戦後から横浜駅(現位置)付近を中心に都市化が急速に進行した一方で、貨物のコンテナ化が進んでコンテナ船専用のふ頭の整備が必要になったことや、工場や造船所などの公害防止、設備更新の必要に迫られたなどの理由で移転したために、港湾機能の主力が郊外に移されつつある。
このため、古くから使用されていた新港ふ頭や横浜船渠(三菱重工業横浜製作所)跡といった市の中心部に近い地域は、みなとみらい21として再開発されている。
- 貨物船の発着場であった新港ふ頭は、コンテナ船専門の本牧・南本牧ふ頭に事実上移転、三菱重工業横浜製作所は中区本牧地区と金沢区にそれぞれ移転した。
現在、これらの地区を”港”として使っているのは、水上バスや小型のクルーズ船、そして海上保安庁といった具合。
この他に、現在では山下公園の奥にある山下ふ頭が再開発の候補となっている。
ハマの中のアメリカ
不平等条約と評された条約の下に開港した横浜港であったが、開港以来、基本的に主要な施設は日本人の手で運営されてきた。そんな横浜港の中で現在でも星条旗が翻る一角がある。
みなとみらい地区~赤レンガ倉庫(新港ふ頭)~大さん橋~山下公園から見て海を挟んで対岸に当たる、神奈川区の瑞穂ふ頭(Yokohama North Dock)は、元々貿易用に建設されたものだったが、太平洋戦争の終結とともにアメリカ軍に接収された。
1952年の講和条約発行後も日本が敷地を提供したという形で、現在も軍用の岸壁として陸軍・海軍が物資の搬入などに使用している。
この瑞穂ふ頭は、主に船体が灰色の輸送艦や、潜水艦の音響情報(潜航中に発生する音)を収集する音響測定艦、あるいは米国政府省庁の船舶やアメリカ軍の傭船が停泊する場所で、運が良ければ珍しい艦船や貴重な現場が見られる…かもしれない。
保存船など
- 日本丸(初代):みなとみらい21地区。旧横浜船渠第一号船渠。桜木町駅から徒歩5分。
- 氷川丸:山下公園内。水上バス乗り場横。
- 長魚3705:北朝鮮のいわゆる不審船。上の2隻とは毛色が全く違う船だが、新港ふ頭、赤レンガ倉庫の奥にある海上保安庁基地の施設内に保存されている。2001年12月に九州南西海域で海上保安庁の巡視船と交戦の末、自爆・沈没したもの。見学可。
この他にも、横浜船渠の工作機械や設備、船舶の錨などが、オブジェとして各所に保存されている。
また、高島駅~横浜港駅~山下埠頭駅の貨物線 通称「高島線」はほとんどの区間が遊歩道となった。