ベネズエラ代表
べねずえらだいひょう
概要
ベネズエラを代表するナショナルスポーツチームを指す。国技である野球では毎回シード枠でWBC本戦に出場しており、南米最弱と言われてきたサッカーでも2007年のコパ・アメリカ自国開催をキッカケに代表チームの本格的な強化がスタートした。
愛称はスペイン語で「赤ワイン」を意味する『ピノ・ティント』で、1938年に初開催された南米国家スポーツ大会「ボリバリアンゲームズ」の際に19世紀から使用されていたベネズエラ軍の軍服を参考にしてワインレッドのユニフォームを採用したのが由来とされる。
産油国という事もあり、資金的な面からも安定した運営や強化が行われると思われていたが・・・
政治不安によるスポーツ界の停滞
政財界の混乱
反米親中露路線を是とする元軍人ウゴ・チャベス大統領が誕生した1999年以後、ベネズエラ国内の財政状況は急激に悪化している。さらに、チャベスが死亡した2013年から体制を引き継ぐニコラス・マドゥロ大統領が破綻した社会主義政策を強行したことよって反米左派と親米政党連合の対立が激化。2017年には国会を名乗る立法機関が2つに割れ、その後に国際的な原油価格下落に伴うハイパーインフレが発生した事も相まって100万人以上のベネズエラ国民が難民として近隣諸国へ逃げ出す事態を招いた。
野球界の危機
政治混乱が表立ってきた21世紀に入っても、ベネズエラ野球界はベネズエラ国営石油会社から多額のスポンサー費用が投入されるなど他のスポーツ団体よりかは厚遇されていた。しかし、マドゥロ大統領によるマズい社会主義政策によって急速に貧しくなった国民が球場へ足を運ばなくなり、政治混乱が鮮明化した2010年代後半からは治安低下も相まって国内リーグでも活動休止を余儀なくされるチームが現れている。
育成面ではMLB球団の在ベネズエラアカデミーが多数置かれていたが、2010年代に入ると金品の強奪が甚だ酷くなり全球団がアカデミーを閉鎖した。こうして行き場を失った有望なベネズエラ人アカデミー生たちは隣国コロンビアやカリブ野球界の強豪国ドミニカ共和国にあるアカデミーに入り、そのまま母国へは戻らないという人材流出の風潮が生まれつつある。
メジャーリーガーなど国際的に通用する選手を選抜できる状態もいつまで続くかは分からず、このまま政情不安が長引けばベネズエラ野球のレベル低下は避けられない。