示現流
じげんりゅう
概要
流祖は島津家家臣の剣豪である東郷重位。『薩摩示現流』とも。「示現」とは、仏教経典の一つ『法華経』の一章「観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん) 第二十五(観音経とも)」の中における経文「示現神通力(じげんじんつうりき)」に因んで、重位が慕っていた薩摩の禅僧・文之が命名したという。薩摩の秘剣を衆生を救う菩薩の霊力に例えたとされている。
薩摩藩内では江戸時代後期に島津斉興より御留流(一つの藩でのみ伝承され、同じ藩内でも他流の者に稽古を見せることを、藩より禁じられた武術の流派)とされ、分家である佐土原藩を除き、藩外の者に伝授することは厳しく禁じられていた。
「キィエーイ!」と聞こえる独特の掛け声で知られるが、正式な掛け声は「エイ!」であり、あまりに激しいためにこうした発音になっているという。
漫画などでは「チェストー!」と叫ばれることもあるが、これは俗説らしく、「キエー!」「キヤアァァァー!」「チェーイ!」といった他流派には無い独特な掛け声が混ざり、そう認識されるようになったとされる。
しばしば薩摩藩士・薬丸兼陳が編み出した分派である『薬丸自顕流』(野太刀自顕流)と混同される。
同じ薩摩で盛んで読みも同じ、掛け声も似ているなど共通点が多いからである。
薬丸家は家伝の野太刀剣術を継承しつつ、先述の東郷重位の高弟にもなり、示現流の技を取り入れた。
独立に際し本家示現流とのトラブルも起こっている。
示現流は高度複雑だが難解で精神論も多い。自顕流は技は少ないが強烈である。
幕末期には、上士は示現流、下士は自顕流を修めていた者が多かった。
空手との関係
琉球王国の武術家で、武士として薩摩へ渡り示現流を学んだ『近代空手の始祖』と言われる松村宗棍は、示現流を通じて日本武術の思想や構造を琉球古武術『手(ティー)』に取り入れ、流派の1つ「首里手」を体系づけ確立させたとされている。
そのため、空手には多くの流派において、上述した示現流の独特な掛け声である(正確には「エイ!」だが)「キィエーイ!」「キエー!」「キヤアァァァー!」「チェーイ!」が、型稽古での気合いを入れる際に使用されている。