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津山事件の編集履歴

2020-05-19 03:04:02 バージョン

津山事件

つやまじけん

「津山事件」は、1938年(昭和13年)に発生した大量殺人事件。

津山三十人殺しなどとも称される。近現代日本における、単独犯による大量殺人事件として現代まで長く語り継がれている。


概要

1938年(昭和13年)5月21日未明に岡山県苫田郡西加茂村大字行重(現・津山市加茂町行重)の貝尾・坂元両集落で都井睦雄によって引き起こされた事件で、刃物以外にも銃を使用して村民30名を約2時間で惨殺し、最後は都井の自殺で終わった。


事件の経緯

都井は集落の比較的ゆとりのある家に生まれであり、成績優秀ではあったが持病肋膜炎で夢を絶たれ、さらに農作業ができなくなった時期があったことや理解者だった姉の結婚などを機に次第に引きこもりがちになっていった。(都井が本当に結核であったかは不明だが、当時の結核患者への差別は凄まじいものである)


都井は徴兵検査で結核を理由に丙種合格(事実上の不合格)になってから、それまで関係のあった近辺の女性たちにも塩対応をされるようになり、次第に都井は村人への殺意を抱くようになる。


都井は散弾銃を入手し、山で射撃の訓練を積んだ。警察の家宅捜査を受けて1度は武器を手放すが、知人を通じて再び猟銃や日本刀を調達した。


そして、婚約関係にあった女性との縁談を破棄され、その女性が別の村の男性へ嫁ぎ、里帰りしていた時に事件が発生する。


1938年(昭和13年)5月20日早朝、彼は集落の電源を切って停電させた上、かねてから準備していた大量殺人を実行に移す。

最初に自宅で自分の祖母を殺害し、はちまきを締め、小型懐中電灯を両側に1本ずつ結わえつけた異様な風体で近隣の住宅に押し入り、子供から年寄りまで住民を次々無差別に殺害していった(しかし、一部の住民は「お前はわしの悪口を言わんじゃったから堪えてやるけんの」と言われて見逃されているため、都井は最初から殺す人間を選んでおり、無差別殺人ではないという意見もある)。

なお、都井が本来ターゲットにしていたのはかつて自分と関係を持っていたが結局別の男性と結婚した女性であったと言われているが、その女性は実家に都井が乗り込んできたときに逃げ出したことで難を逃れることになり無事であった。


都井は1時間半ほどの凶行ののちに遺書を書いて山に登り、自殺したとされる。

上記のように、本来の標的を殺害できなかったことには悔いが残ったのか、遺書には「うつべきをうたず うたいでもよいものをうった」という無念が綴られていたという。また、自分の祖母を殺害したことについては「後に残る不びんを考えて」とされていた。


この様に、長時間の激しい運動を伴う犯行に身体が耐えられた事から「実は犯行時点で結核は一定以上回復していた、もしくは最初から誤診だった」説がとなえられる事もまれにある。


事件後の影響


実行犯が死亡した上、彼と交際のあった者たちは周囲の目を憚って口をつぐんだので動機などは未だ分からない点が多い。本事件を題材にしたルポルタージュの一部にも創作の含まれた書籍もあり、現在でも不明な点が少なくない。


尚、都井の亡骸は実質的な保護者であった彼の姉が引き取ったものの、甚大な被害を受けた村民達の手前、集落の中の墓地に埋葬するわけにもいかず、最終的に自らの嫁ぎ先にして都井の生まれ故郷でもある加茂町倉見(現・津山市加茂町倉見)の村の墓地に埋葬する事になるが、「大量殺人犯に人並みの墓を立ててやるなんてとんでもない!」という夫や親族の猛反対を受け、最終的に都井家の墓の傍に作った土饅頭の上に近くの河川敷の石を墓石代わりに乗せた超簡素な墓に埋葬せざるを得なかった。それでも、日本の犯罪史上に残る程の大事件の犯人という事に興味を抱いた一部のマニアや、その悲劇的ともいえる経緯に同情した者などが、今でも時々、都井の墓参りに訪れるという事も珍しくない。


事件後、貝尾・坂元両集落は、一家の大部分を亡くした事で離散した家庭や、一家全滅した家庭、被害を受けずとも事件のトラウマから集落から逃げ去ってしまう家庭も少なくなく、その結果働き手となる村民が著しく減少したことで、農作業を行うことが難しくなり、生活がかなり苦しくなったとされる。

また、都井の姉は勿論の事、彼と親交がありながら殺されなかった者も、事件後に生き残った村人達からの心無い噂に苦しめられ、村八分に近い扱いを受け、中には親族共々集落から出ていかなければならなくなったり、二度と集落に足を踏み入れる事ができなくなった者もいたという。


そして、上記にもある都井の本来の標的であったが難を逃れた女性は、事件後、「事件の元凶となった張本人」と見なされ、やはり周囲から村八分同然の扱いを受け、集落を去る事となり、その後、高齢になるまで地域社会から孤立する羽目になったという。


また、30人という被害者数は、明確に殺害された人数が判明している近代以降の日本の刑事事件の中では当時最多の人数であり(凶器殺人としては現在でも日本で最多)、日本の犯罪史上前代未聞の大量殺人とされ、現代においても犯罪やフィクション作品、都市伝説などに影響を及ぼすこととなった。


関連タグ

津山30人殺し 津山三十人殺し


八つ墓村 SIREN


杉沢村伝説…1990年代後期頃にネットから囁かれた青森県で起こった殺人事件とされた都市伝説。事件内容と結末がこの津山事件との類似点の多さが指摘されている、事件の起きたとされた集落の都市伝説との相違と事実の判明で、何者かの創作で生まれた都市伝説である事が判明している。


……塗り替えられたくなかった記録

京都アニメーション第1スタジオ放火事件2019年7月18日発生。当日中に33名の死者が確定(最終的に死者は36人となった)し、近現代以降における「公式に記録された、戦争行為以外における単独犯による大量殺人」の記録は当該事件によって塗り替えられることになってしまった。

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