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チャールズ・ダーウィンの編集履歴

2020-06-20 10:44:06 バージョン

チャールズ・ダーウィン

ちゃーるずだーうぃん

イギリスの自然科学者・地質学者・生物学者。主著に『種の起源』『ビーグル号航海記』など。自然選択説を提唱。

概要

チャールズ・ロバート・ダーウィン(1809年2月12日~1882年4月19日)

イングランド自然科学者地質学者生物学者。自らは地質学者を名乗っていた。

主著に『種の起源』『ビーグル号航海記』など。


略歴

1809年2月12日、シュロップシャーシュルーズベリー(イングランド)に生まれる。父ロバートは医師で投資家、母スザンナは陶芸家・企業家として知られるジョサイア・ウェッジウッドの娘で、非常に裕福な家庭で育った。

1825年、医師になるべくエディンバラ大学に進学するが、血を見るのがダメで医師の道は諦める。エディンバラ大学でラマルク進化論に触れた。

1827年、牧師になるべくケンブリッジ大学で神学、古典、数学を学ぶ。


1831年、大学卒業後、イギリス海軍の測量船ビーグル号に乗船し世界を一周。航海中訪れたガラパゴス諸島で、誕生から歴史の浅い島の生物の多様性に驚く。

1836年、イギリスに帰国。ビーグル号での航海中に集めた標本を整理しつつ、航海記を執筆。

1839年、従姉のエマ・ウェッジウッドと結婚。『ビーグル号航海の動物学』の出版が始まる(~1843年)。

1842年、『ビーグル号航海の地質学』を出版。


1856年、アルフレッド・ウォレスとほぼ同時に自然選択説に到達。

1859年、『種の起源』を出版。学術の世界を超えた大きな反響を呼ぶ。

1877年、ケンブリッジ大学から名誉博士号を贈られる。

1882年4月19日、ケント州ダウン村の自宅で死去。


ダーウィンにちなんだ命名

ダーウィン市 チャールズ・ダーウィン大学 ダーウィン・フィンチ ダーウィン山

ダーウィン賞 ダーウィンが来た! 教えてダーウィン


フィクションにおけるモチーフ

ダーウィンマリー&ガリー

ダーウィン(妖怪ウォッチ)妖怪ウォッチ

ダーウィン魂仮面ライダーゴースト 100の眼魂とゴースト運命の瞬間


余談

  • 自然選択説に基づく進化論を提唱し、生物学・社会科学および一般思想界にも影響を与えた。
  • フジツボの分類、珊瑚礁の形成、ハトの飼育品種の改良、ミミズによる土壌形成などの研究でも業績を残している。
  • 2000年にイギリスの10ポンド紙幣に肖像が描かれた。
  • 変化するものが生き残る:言い回しに様々なバリエーションがあるが、「(生物のうち、生き残るのは)強いものではなく、適応(変化)するものが生き残る」という趣旨の発言として様々な場所で語られる。日本での著名な例としては……●小泉純一郎の発言●缶コーヒー「ダイドーブレンド デミタス微糖」2017年9月11日から放映されたCM●天狼_Sirius_the_Jaeger一話……等がある。現存する本人の著作や発言からは確認できず、後世の創作とみられている。科学史家たちはアメリカの経営学者レオン・メギンソンが1960年代に進化論を独自解釈して論文に書いたものだとしている(誰もが知っているダーウィンの名言は、進化論の誤解から生じた!)。
  • 自然選択説を曲解した『社会ダーウィニズム』は自由市場の発展に関する適者生存の概念、人種差別的な進化観などに使用された。
  • 2020年6月、自由民主党の広報twitterアカウントに投稿された憲法改正漫画(リンク)において、社会的ダーウィニズムと偽「ダーウィンの発言」引用のコンボが繰り出され、ネット民を騒然とさせた。

関連タグ

ダーウィン 自然科学 進化論 イギリス ガラパゴス


外部リンク

ダーウィンは「変化に最も対応できる生き物が生き残る」と言ったか?

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