イスラムの開祖としてのムハンマド
フルネームはムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ・イブン=アブドゥルムッタリブ。570年頃にアラビア半島のメッカに生を受けた。25歳頃にハディージャ・ビント・フワイリドと結婚して4人の子を儲けるも、悩みを抱いて瞑想にふけるようになる。610年8月10日、メッカ郊外の山でジブリール(ガブリエル)の啓示を受けて預言者となる。
天馬ブラークに乗って天界に行った際にはアダムやノア、モーセ、キリストなどといった過去の預言者たちにも会ったといわれる。(預言者の数は25人、または27人とも)
彼が預言者として受けた啓示であるクルアーンと、ムハンマド自身の言行の記録であるハディース集はイスラム教の聖典となっており、今日の信徒たちの信仰生活を送る際の規範として機能している。
ハディースにおいてはその人柄を示すエピソードが多く、中にはニンニク料理を食べてモスクにやってきた信者にイラっと来て「そんなもん入れた口で来るんじゃねえ!」と激怒したのがニンニクの摂食が戒律として禁じられたと周囲に誤解されて騒ぎになると、あわてて「私が嫌いな臭いの植物なだけだから!」と宥めるなど、飾らない素直な性格が垣間見えるものとなっている。
預言者となったムハンマドはアッラーの教えを説いて回るが迫害に遭い、転戦の日々を余儀なくされる。少数民族の多神教ばかりでなく、ササン朝やビザンツ帝国と言ったキリスト教やゾロアスター教の大国ともにらみ合うなど多難を乗り越え、630年にメッカを奪還してイスラムの聖地たらしめている。2年後の632年、ムハンマドは戦いと布教にかけた人生を終えた。
絵画表現
イスラム世界にはムハンマドを描くことをタブーとする解釈も存在し、あるムハンマドの伝記映画では彼の目から映る光景を映像化しており、彼自身の姿は画面には映らない。
ムハンマド風刺漫画問題では、ムハンマドへの侮辱的要素だけでなく、彼の姿を描く事の是非も問われた。
ただし、歴史上ではムハンマドを描いた絵は存在していた。その多くはメイン画像のように布を被ったものだが、中には顔を描いたものもある。
ムハンマドとネコ
ムハンマドはネコ好きであったとされ、ネコに関する逸話もいくつかある。
「ムハンマドが礼拝している最中、愛猫が着物の袖の上で眠ってしまった。猫を起こすのが忍びなかったムハンマドは、袖を切り落として外出した」というものがよく知られている。
その為かイスラム世界では特にネコを大切にする傾向があり、猫を虐待した女性が神に罰せられ、地獄に落ちた逸話がハディース(ムスリムの道徳やマナー、生き方の指南書)の中で語られている。
対してサルーキ以外のイヌは穢れた生き物とされ、犬がモスクに入ったらモスク全体を清めなければならないといわれる。
(だが、イスラーム自体は動物を大切にする宗教であり、ムハンマドが喉が渇いた犬に水を恵むという逸話もある。 参照:動物に対しての慈しみ)
人名としてのムハンマド
イスラムの預言者に因む名前として好まれ、メフメト・ムハメット・モハマドなど多く存在する。
実在の人物
アラーウッディーン・ムハンマド:ホラズムの皇帝。モンゴル帝国に敗れて憤死した。ムハメットとも言う。
メフメト2世:コンスタンティノープルを征服したオスマントルコ皇帝。
モハンマド・レザー・パフラヴィー:共和制移行前のイラン皇帝。我が国と石油外交で親密な関係を築かれ、大勲位菊花章頸飾をお受けになられた。
モハメド・アリ:アメリカのボクサー。プロ転向後にネーション・オブ・イスラムの信徒と言う事を明かし、ムハンマドと指導者アリーに因む名に変えた事で有名。