- 『遮那王義経』の源平の合戦編に登場するキャラクター(メイン画像)。
概要
最終官位は正五位下能登守、通称「能登殿」。
『吾妻鏡』では一ノ谷の合戦で甲斐源氏の安田義定の軍勢に討たれたとされ、壇ノ浦の戦いの戦死者や捕虜の名簿にも名前がない。しかし『玉葉』では首渡しの際に偽首疑惑の風聞があったことに触れている。ちなみに赤間神宮の「七盛塚」にも「副将能登守教経」として祀られており(教経を国盛と扱えば)七盛の一人である。
『平家物語』では、数々の合戦において武勲を上げ、「たびたびの合戦で一度の不覚も取ったことはない」「王城一の強弓精兵」と言われる平家随一の猛将であり、源義経のライバル的存在として描かれている。
平家都落ち後、水島で矢田義清(足利義康の長男。細川氏や仁木氏の祖)を撃破して源義仲の野望を頓挫させ、「六ヶ度の合戦」では伊予の河野通信、淡路の源義久(源為義の四男・頼賢の子)と源義嗣(源為義の五男・頼仲の子)らを打ち破り福原再上陸の立役者となった。
屋島の戦いで佐藤継信を射殺し、壇ノ浦の戦いで義経を追い詰めるも八艘跳びで逃げられ、覚悟を決める。そして最後は源氏の武士(どのくらい強いかというと30人力と称され、同じくらいの強さの部下と3人がかりなら身長18mの鬼すら倒せるなどと噂が立っていたほど)二人を両脇に抱え「いざうれ、さらばおのれら、死途の山の供せよ!」と叫び入水したとされる。(『平家物語』巻第十「能登殿最期」)
しかし、諸説があり祖谷に落ち延びてその地で没したとも云われる。
関連人物
海御前 - 妻。この人物(もしくは母親)は、四国・九州に伝わる河童の妖怪だという伝承がある。
唐沢寿明…1991年の日本テレビ年末時代劇「源義経」で教経を演じた。