概要
1985年3月11日、モンゴル国ウランバートル市出身。宮城野部屋所属。
帰化前の本名は「ムンフバト・ダヴァジャルガル」。2019年9月に日本国籍を正式取得し、本名・しこ名共に「白鵬 翔(はくほうしょう)」となった。
モンゴル相撲力士の父と元外科医の母の間に生まれ、当初はバスケットボール等をやっていたが15歳の時にどうしても相撲をやりたくなり、故郷の先輩である旭鷲山の引きで来日。当時は小柄だったためギリギリまで部屋が決まらず、来日の仲介をした旭鷲山の懇願で現在の部屋に決まった。2001年3月場所に初土俵を踏むも5月場所で負け越すなど当初は苦難が続いたがやがて体格も技術も向上し急速に地位や人気を上げて行く。
2007年名古屋場所から横綱となる。土俵入りは不知火型で、当初は「不知火型の横綱は短命になる」とうジンクスもあったために心配されたが今は白鵬や日馬富士が長く綱を勤めているためにそのジンクスも薄れている。その土俵入りは白鳳が崇拝している双葉山と大鵬を組み合わせた、独特な仕上がりとなっている。
2010年には双葉山(69連勝)に続く63連勝を記録、2015年には大鵬(32回)を抜く、史上最多33回目の幕内優勝を飾った。
優勝回数は現在も更新中で、44回である(最近の優勝は2020年3月場所)。
30歳を過ぎてからは負けることが増え、舞の海から「衰え」を指摘されることもあったが、本人は逆に「それがどうした」と言わんばかりに優勝を重ね、放送中の優勝インタビューでそのことについて触れ、正面座席に座っていた舞の海を苦笑いさせたことがある。
横綱になって8年目の2015年9月場所で横綱になって初めての休場。ここ5年は怪我が増え(本人曰くメスが入ってない箇所のほうが少ないんじゃないか)2~3場所に1回は休場するということが多くなってきた。それでも皆勤した場所は優勝、優勝を逃したとしても最低二桁は勝っているため進退問題が浮上したことはまだない。
ここ数年は立ち合いからのエルボー気味の右カチ上げや張り差しが横審や一部から批判を浴びているが、これも賛否あり、ある程度実績のある親方衆は殆ど問題視していない。3代目若乃花はむしろ「がら空きになる脇を突かない相手力士が悪い」と苦言を呈しており、稀勢の里も「(左が強い)自分には一度もカチ上げをしてこなかった」と引退後コメントしている。
今も前人未到の地を行く白鵬を近年は「孤高の横綱」と形容されることも多くなった。
人物
- モンゴル出身の先輩でもある横綱朝青龍とは、土俵外で睨みあう一幕などがクローズアップされたこともあったが、目標であり、ライバルと思っていたという。それだけに彼が不祥事で急遽引退となった時は大きなショックを受け、涙を流す姿を見せた。対する朝青龍も引退後はツイッターにて15日間横綱としての勤めを果たした白鵬に対して労いの言葉を送るなど土俵の外では親しい間柄である。
- 社会貢献に熱心で、地方巡業の際は福祉施設を慰問したり、東日本大震災の復興支援にも力を入れている。また、国際親善交流少年相撲大会「白鵬杯」を開催し、少年達に相撲を普及させることにも余念が無い。
- 休日はチェスとテレビゲームに没頭する意外な一面がある。
- もちろん相撲に関しても研究熱心で、大横綱の大鵬や双葉山を尊敬している。その研究熱心さ故か近年は土俵上で「猫騙し」等の奇策も見られ、「横綱らしくない」とバッシングを受けることもある。
- 2008年に東京フレンドパークにて内藤大助と共に出演し、双方持ち前の運動神経を生かしてグランドスラムを達成した。またダーツでパジェロの獲得も同時に達成している。
- 力士らしく酒豪である。特に白鵬スペシャルという、ウイスキー、ビール、炭酸水、シークヮーサー果汁で作ったオリジナルカクテルがお気に入りなのだが、豊ノ島曰く「ゲロの味」と酷評されている。実際に味見をした共演者からは「美味いけど、確かに飲みすぎたら危険」と評価された。
関連人物
- ジグジドゥ・ムンフバト
モンゴル相撲の大横綱でメキシコオリンピックではレスリングで銀メダルを獲得し、モンゴル初のメダリストとなった。
- 宮城野親方
師匠。元幕内竹葉山。
一時期元十両の金親が宮城野部屋を継承した時期は年寄・熊ヶ谷であった。
- 山口
元内弟子。最高位は西前頭16枚目
一時期は大喜鵬という四股名であった。2019年9月場所で再び大喜鵬に改名したが、病気や怪我を理由にこの場所を最後とした。
- 石浦
内弟子。
父親は高校相撲の強豪である鳥取城北高校の校長で相撲部監督である石浦外喜義氏。
内弟子。関取軽量級で小兵の業師。