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河野洋平の編集履歴

2020-12-30 05:51:11 バージョン

河野洋平

こうのようへい

日本の政治家。河野談話を発表したことで知られ、その他にも日本のその後に大きな悪影響を与え、大きな爪痕を残した戦後最悪の売国奴。

概要

1937年〈昭和12年〉1月15日、神奈川県平塚市に生まれる。父は副総理格国務大臣、農林水産大臣等を務めた党人派の実力者だった元衆議院議員の河野一郎。出身大学は早稲田大学政治経済学部経済学科(同級生に福田康夫)。

衆議院議員(14期)、衆議院議長(第71・72代)、副総理(村山内閣・村山改造内閣)、外務大臣(第122・127・128・129・130代)、内閣官房長官(第55代)、科学技術庁長官(第39代)、自由民主党総裁(第16代)、新自由クラブ代表(第1・3代)を歴任。


宮澤喜一政権の官房長官時代に、河野談話を発表。

これは河野の個人的見解ではなく、政権内の合意を取り付けて発表された宮沢政権の公式見解であり、第二次安倍政権でも有効性が再確認されている。


ちなみに、自民党総裁でありながら総理大臣になることができなかったという残念な経歴を持つ最初の人物でもある(2人目は民主党が与党だったときの谷垣禎一総裁)。河野が総裁に就任した際、非自民連立政権の細川護熙が首相だった。翌年、政権は奪還したが日本社会党村山富市が首相に就任した。


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田中角栄 田中真紀子 河野太郎 自民党

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