概要
2001年ドラフト4位で西武ライオンズに入団。
2005年から頭角を現し始め、2006年シーズン終盤に一軍に定着。この年のセ・パ交流戦で上原浩治からライバル宣言される。
2008年からは背番号が「52」から「1」に変更となると同時に2番に固定され、自己最多の138試合に出場しリーグ優勝に貢献。初の打撃タイトルとなる最多安打(同僚の片岡易之(現・片岡治大)と同時受賞)とベストナインを受賞した。
2010年にはチームの外野手として史上初の144試合フルイニング出場を果たし、ベストナインのほかにゴールデングラブ賞も受賞。
2011年も144試合フルイニング出場を達成し、後半戦では1番でチームを牽引した。
2012年からはキャプテン(2016年まで5年間務めた)。
2016年はオールスターに初出場し、初打席で初ホームランを決めた。
2021年9月4日の楽天戦にて、同球団生え抜き選手初(史上54人目)の2000本安打を達成。(西武球団はこの年が創設72年目である。)
この試合では、打たれた投手が牧田和久、捕手が炭谷銀仁朗、先発投手(ならびに勝利投手)が岸孝之、そして監督が石井一久と、元西武の人物が多かった。
同期で同学年、同じ関西出身の中村剛也とは”骨牙コンビ”」と呼ばれている(2017年の球団が作成した選手ポスターでの「真獅子の、骨と牙」が由来)。ちなみに、FA宣言などで他球団に流出する選手が多い中で中村とともに20年以上もライオンズに在籍し続けている。
打席に入る際の登場曲は、クレイジーケンバンドの「あ、やるときゃやらなきゃだめなのよ。」である。