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マーガレット・サッチャーの編集履歴

2021-12-05 15:53:20 バージョン

マーガレット・サッチャー

まーがれっとさっちゃー

イギリスの政治家。第71代イギリス首相

「お金持ちを貧乏にしても、貧乏な人はお金持ちにはなりません」


概要

マーガレット・ヒルダ・サッチャー(英語:Margaret Hilda Thatcher、1925年10月13日 - 2013年4月8日)は、イギリス政治家。第71代イギリス首相。庶民院議員、保守党党首、貴族院議員を歴任した。爵位は男爵。双子の1男1女の母でもある。

経歴

1925年10月13日にイングランドのリンカンシャー州グランサムで、食品雑貨商の家庭に誕生した。オックスフォード大学で化学を専攻し、卒業後は企業研究員としてアイスクリームを研究した。一方で経済学に関心を抱き、フリードリヒ・ハイエクの唱える「新自由主義」に傾倒した。1950年に夫のデニスと結婚し、双子の子をもうけた。


1959年10月に2度目で保守党所属の庶民院(下院)議員に当選した。党内では右派に属し、新自由主義政策を世界で初めて導入したチリの独裁者のピノチェトに心酔する。


1975年2月に保守党党首となり、1979年5月に第71代イギリス首相に就任し、イギリスで初の女性首相となった。「ゆりかごから墓場まで」をスローガンとする高福祉政策・産業の国有化によって国民の労働意欲が減退し、「イギリス病」と揶揄されるまでになったインフレと高失業率に苦しむイギリス経済を新自由主義政策によって再建し、「小さな政府」を目指した。

冷戦に対しては、アメリカと共にソ連共産主義に対して反共姿勢を構えた。


1982年3月にアルゼンチンフォークランド諸島を巡ってフォークランド紛争が勃発した。任期最大の危機に直ちにイギリス軍を出動させ、2ヵ月後にイギリスの勝利の下に終結させた。これにより支持率が急回復し、大胆な改革の推進が可能となる。「小さな政府」を掲げて新自由主義のもとに急進的で大胆な改革(小泉政権時の構造改革を過激化したようなもの)を繰り広げた。


サッチャーの新自由主義による改革(サッチャリズム)でインフレ抑制・規制緩和・労働組合の弱体化などには成功するも、失業者が激増したことから不人気となり、任期の後期は新自由主義政策を断念してリフレ政策に転じる。これで支持が持ち直して3期に渡って首相を務めたが、人頭税の導入が反発を受けた事から、1990年11月に首相を退任した(サッチャリズムを受け継いだ「第三の道」を掲げる労働党のブレアの時代に「イギリス病」は解消された)。


退任後は貴族議員となっていたが、2000年頃から認知症を発症し、2008年に娘である作家のキャロルが母の認知症を公表した。夫に先立たれて更に症状が悪化し、夫が既にこの世にいないことも忘れてしまい、家族をいたく悲しませたという。


2013年4月8日に脳卒中の為、87歳で死去した。イギリスでは国葬と彼女の死を祝賀するデモが同時に行われ、サッチャリズムがイギリス社会にもたらした亀裂を印象付けた。


鉄の女

サッチャーの異名として知られる「鉄の女」であるが、これは本来ソ連国防省の機関紙が彼女を非難する目的で使ったもの。皮肉にも彼女自身が気に入ったため、広く使われることとなった。

後に彼女の功績を称えブロンズ像が設置された際にも「鉄もいいけどブロンズも悪くないわね」とジョークを飛ばしたほど。


仕事には厳しく、短気で激高しやすかったと言われ、世間では夫を尻に敷いているようなイメージが喧伝されていたが(サッチャー自らそのように演出していた面もある)、家庭では良妻賢母型であり、政治に当たっても夫の助言をよく聞いていたという。


また、上記のブロンズ像発言の他にも首相として参加した最後の党大会のスピーチでは、モンティ・パイソンの「死んだオウム」を使ってイギリス自由民主党を批判して会場を大爆笑させるなど(イギリス自由民主党のシンボルマークはオウム)、イギリス人の政治家らしくジョークに富んだエピソードも多い。


映画

2011年に『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(原題はIron Lady)が公開され、メリル・ストリープが彼女の役を演じた。

関連タグ

サッチャー イギリス 政治家 首相 冷戦


外部リンク

マーガレット・サッチャー - Wikipedia

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