安藤勝己
あんどうかつみ
概要
「アンカツ」の愛称で知られ、「カラスが鳴かない日はあっても、アンカツが勝たない日はない」とまで言われた名ジョッキー。
地方騎手が中央へ移籍する制度そのものを大きく改革させた先駆者。
安藤騎手がいなければ、岩田康誠・戸崎圭太・内田博幸・小牧太ら後に続いた彼らの活躍はなかったかもしれないと言える、多大な功績を残した地方騎手のレジェンド。
1980年代に笠松競馬のトップ騎手となり、オグリキャップやフェートノーザンの主戦としても活躍していたが、後のオグリキャップの中央移籍時に当時の制度上で騎乗出来なかった。
1995年、JRAでは後に「中央地方交流元年」と呼ばれた中央と地方の壁が崩れ、交流重賞などの設立や制度などが大幅に改革が行われ、条件付きではあるが地方騎手でも中央GⅠに出走可能となった。安藤騎手は中央競馬に参戦を果たし、報知杯4歳牝馬特別(現・フィリーズレビュー)をライデンリーダーで勝ちその年の牝馬クラシックなどに出走。中央への思いを強くする。
1999年、デイリー杯3歳ステークスを制したレジェンドハンターの鞍上として朝日杯3歳ステークス(現・朝日杯フューチュリティステークス)へ挑むも、エイシンプレストンの前に交わされGI制覇はならなかった。
2001年にはついに中央の騎手免許をとるべく1次試験を受験。実力十分なことからマスコミには「移籍確実」と騒がれたが、なんと不合格。ファンだけでなく競馬関係者からも「地方で実績を挙げた騎手と10代の競馬学校生が同じ試験を課されるのはおかしい」などの批判が集まり、ついにはJRAが「地方在籍時に中央で所定以上の成績を挙げていれば、筆記試験を免除する」というルールを制定。「アンカツルール」と俗称されるようになった。アンカツルール制定後、小牧太(兵庫)・岩田康誠(兵庫)・内田博幸(大井)らがこのルールを利用して中央入りを果たしている。
2003年中央へ移籍、高松宮記念をビリーヴで制し移籍1か月足らずで中央GI制覇を達成する。
以後もザッツザプレンティ・アドマイヤドン・キングカメハメハ・ツルマルボーイ・ダイワメジャー・ダイワスカーレット・ブエナビスタなどの主戦としてGIを制する活躍を果たす。
2013年に騎手を引退、引退後は岡部幸雄騎手同様に競馬評論家や解説者として活動している。
業績は勿論のこと競馬評論家になっても(現場から離れても)馬の性格をすぐに見抜く慧眼は衰えないなど間違いなくレジェンドではあるのだが、本人の性格はだいぶ適当人間なのでその辺はたまにネタにされる。どれくらい適当かというと、現役時代に「(武)豊ちゃん、これ何メートルのレースだっけ?」とレース直前に聞いたというエピソードがあるくらいには適当。