概要
小スンダ列島の東端にあるティモール島の東部、西部の飛び地オエクシ、アタウロ島、ジャコ島を領土とする東ティモール民主共和国のこと。
公用語はポルトガル語、テトゥン語。住民の大部分はメラネシア人である。
首都はディリ。
「ティモール」という名称はマレー語、インドネシア語で「東」と言う意味。
略歴
1520年、白檀を求めてやってきたポルトガル人がティモール島の領有を宣言し、1586年に島を占領。
1640年、インドネシア植民地のオランダ人がティモール島に入植した。オランダとポルトガルの間で領有権が争われたが、1859年のリスボン条約により西側がオランダ領、東側がポルトガル領となる。
1939年、第二次世界大戦が勃発。ポルトガルは中立を宣言するが、1941年、日本軍が東南アジアへ侵攻したため、オランダ軍とオーストラリア軍がポルトガル領ティモールを保護占領する。その後、ABDA司令部(米英蘭豪司令部)が日本軍に敗れて撤退し、インドネシアとともに日本軍の占領下におかれ、ポルトガル政府もこれを黙認する。
1945年、日本の敗戦によりオーストラリア軍が進駐し、その後再びポルトガル領となる。
1974年、植民地での独立戦争に疲弊したポルトガルで無血革命(カーネーション革命)が起き、東ティモールでも政治活動が自由化される。
1975年、ティモール民主同盟がクーデターを起こし、対立する東ティモール独立革命戦線(フレティリン)との間で内乱となり、ポルトガルは東ティモールから撤退した。東ティモールの領有権を主張するスハルトはインドネシア軍を侵攻させ実効支配するが、東ティモールの抵抗運動に虐殺で応え国際社会からの批判を浴びた。
1998年、インドネシアでスハルト政権が崩壊。
1999年8月30日、インドネシアが東ティモールで特別自治権の付与を問う住民投票を実施するが、自治拒否78.5%で独立が事実上決定。インドネシアは東ティモールに非常事態宣言を発令し虐殺を行うが、9月12日に国連平和維持軍の受け入れを容認し、オーストラリア軍を主力とする東ティモール国際軍が派遣された
2002年、制憲議会選挙でフレティリンが圧勝し東ティモールは独立を果たした。
その後も国内情勢は不安定で暴動が多発し、国連軍による平和維持活動が行われている。