概要
正式名称は東ティモール民主共和国。
面積約1万4900平方km、人口約134万人(2022年)、首都はディリ。
小スンダ列島の東端にあるティモール島の東部、西部の飛び地オエクシ、アタウロ島、ジャコ島を領土とする。
公用語はポルトガル語、テトゥン語。住民の大部分はメラネシア人である。
通貨は米ドル、1ドル以下はセンダボという独自の補助通貨を使用。
歴史
起源
1520年に白檀を求めてやってきたポルトガル人がティモール島の領有を宣言し、1586年に島を占領。1640年にインドネシア植民地のオランダ人がティモール島に入植した。オランダとポルトガルの間で領有権が争われたが、1859年のリスボン条約により西側がオランダ領、東側がポルトガル領となる。
第二次大戦
1939年に第二次世界大戦が勃発。ポルトガルは中立を宣言するが、1941年に日本軍が東南アジアへ侵攻したため、オランダ軍とオーストラリア軍がポルトガル領ティモールを保護占領する。その後、ABDA司令部(米英蘭豪司令部)が日本軍に敗れて撤退し、インドネシアとともに日本軍の占領下におかれ、ポルトガル政府もこれを黙認する。
しかし、1945年に日本は無条件降伏。これによりオーストラリア軍が進駐し、その後再びポルトガル領となる。
独立戦争
1974年に植民地での独立戦争に疲弊したポルトガルで無血革命(カーネーション革命)が起き、東ティモールでも政治活動が自由化される。
1975年にティモール民主同盟がクーデターを起こし、対立する東ティモール独立革命戦線(フレティリン)との間で内乱となり、ポルトガルは東ティモールから撤退した。東ティモールの領有権を主張するスハルト政権はインドネシア軍を侵攻させ実効支配するが、1991年に独立派を虐殺、国際社会から批判を浴びることに。
独立へ
1998年にインドネシアのスハルト政権が崩壊し独立容認へ方針転換。1999年8月30日に東ティモールで特別自治権の付与を問う住民投票を実施、自治拒否78.5%で独立が事実上決定。インドネシアは非常事態宣言を発令し武力制圧を試みるも、9月12日に国連平和維持軍の受け入れを容認し、オーストラリア軍を主力とする東ティモール国際軍が派遣された。
2002年に制憲議会選挙でフレティリンが圧勝。同年5月20日、東ティモールは正式に独立を果たした。
ASEANには未加盟のままである。
日本との関係
独立と同時に国家承認。アジア太平洋地域の平和維持と発展に重要と認識。インフラ整備や産業の多角化を目的に支援している。
渡航
短期滞在なら空港到着時に査証を取得可能、手数料は30米ドル。パスポートの有効残存期間が6ヶ月以上必要。
日本の外務省は全域で経済停滞や貧困を背景に格闘技集団の抗争が多発しているため注意してほしいとのこと。