概要
標高約628m。
溶岩円頂丘(溶岩ドーム、鐘状火山)に分類される火山であるが、約50万年前に活動をほぼ終了したとされている。
決して高い山ではないが全体的にこんもりとした森林が生い茂る山容で、別府湾のすぐそばにそびえる事から雄大な風景を形成している。
1956年に現在の瀬戸内海国立公園の一部に編入された。
古来より自然を生かした要塞地として利用されており、奈良時代には砦が築かれ、南北朝時代には大友氏が山城を整備。
現在も僅かながら石垣などの遺構が残る。
古くから野生のニホンザルが多く生息しており、第二次世界大戦後に農作物の被害防止と観光資源を兼ねて猿の餌付けが始まる。
その後餌場のある地元の寺の境内が市立高崎山自然園の中核施設として開園に至った。
なお国道を挟んだ海側で民間水族館の大分マリーンパレス水族館(うみたまご)と隣接する。
群れはA群・B群・C群と三つの勢力があり、A群は2002年に他の群れとの抗争もあり寄せ場に現れなくなり(群れが消滅したとも言われている)、現在では最大勢力のB群とB群を恐れるC群の二大の群れが高崎山の猿達である。
伝説のボス猿ベンツ
かつて高崎山には一頭の名を馳せた大物のオスのボスザルがいた。
1978年頃に誕生し、身体も大きく貫禄ある容姿からドイツの自動車ブランドにちなんでベンツと命名される。
喧嘩が強く、1987年10月に9歳で当時3つあった群のうちのB群ボスに昇り詰める(当時の同園史上最年少)。
ところが1990年にC群のメスザルを追いかけた事からB群のボスザルの座を追われ、そのままC群に移る。
2000年にはC群の最下位からナンバー2に成り上がり、2011年にボスとなる。
この時満32歳で人間でいえば100歳近い高齢であった。
異なる群れでボスの座に君臨した事のある希少な経歴から高崎山の伝説のボスと呼ばれるようになる。
2013年後半より姿を見せなくなるようになり、一度、C群から離れて大分市に出没してから再び群れに戻ったものの、12月の失踪以降行方不明となる。
それから何度か捜索されたが1月後の2014年1月に園の規定により死亡認定された。最後まで死んだとされるベンツの死体は発見されなかった。
基本的に気性は荒かったが、群れ内の喧嘩の仲裁役を積極的に買って出ていたとされる。
マスコミによる広報効果にも寄与した事から、死後に初代「名誉ボス」という称号を贈られた。
その他の有名なボスザル
- ジュピター
:日本において初めてボスザルと呼ばれたとされる。
- ゾロメ
:ベンツの死後のC群ボスを継ぎ、兄のゾロと共にボスザルになった。ベンツがボスの座にいた時は彼の側近だった。