エンドマークに向けて
果断が笑顔につながり
地震は涙に流される
ふと舞い込む幸運
あるいは突然の失意
約束された未来など
どこにもない
シナリオは常に書き換えられ
予定調和は崩される
どんなエンディングでも
受け入れる準備はあるか?"
- 名馬の肖像 2019年有馬記念より
生涯
1985年6月12日生まれ。父ノノアルコ、母クニノキヨコ。主戦騎手は熊沢重文。
1990年の天皇賞(秋)では同世代のオグリキャップと生涯唯一の対決(オグリ6着・ダイユウサク7着。)
7歳(現6歳)となった1991年は、年明けの京都金杯(GⅢ)を勝利し重賞初勝利。
次の産経大阪杯はホワイトストーンの2着に入るなど、この年は重賞戦線で善戦するも、掲示板(5着以内)に乗るのがやっとという状態だった。
そして、1991年末の第36回有馬記念。
メジロマックイーンが圧倒的な1番人気に推された中で、ダイユウサクは15頭立ての14番人気だった。
しかし、調教師の内藤繁春は「これまでにない仕上がり」と判を押した。
レースは、当年秋の天皇賞を(繰り上がりで)制したプレクラスニーを最後の直線で抜き去ると、追い縋るメジロマックイーンを振り切り先頭でゴールイン。
フジテレビ実況の堺正幸は「ダイユウサクだ!ダイユウサクだ!これはびっくりダイユウサク!熊沢です!」と叫んだ。
さらに、2年前にイナリワンが記録したレコードタイムを1秒も更新する2分30秒6の新記録を立て、2003年にシンボリクリスエスが破るまでレコードタイムを保持していた。
ダイユウサクはその後、8歳(現7歳)となった1992年も現役を続けたが、以降は掲示板にすら乗ることもなく、スワンステークスを最後に引退。「世紀の一発屋」と呼ばれた。
現役引退後は種牡馬となるも、相手が集まらず産駒成績は振るわなかった。
1998年に種牡馬を引退してからは北海道にて余生を送っていたが、2013年12月8日に老衰のため28歳で死去した。
関連タグ
- 競走馬
- トルカータータッソ……ドイツ出身の競走馬で、2021年の凱旋門賞優勝馬。このレースではブービー人気(14頭中13番人気)ながら2番人気のアイルランド馬タルナワ、1番人気のイギリス馬ハリケーンレーンとの壮絶な競り合いの末に勝利したのだが、ブービー人気が1着、1番人気と2番人気がそれぞれ2着と3着に入線した辺りが有馬記念の時のダイユウサクと見事に一致している(有馬記念の場合は1着ダイユウサクはブービーの14番人気、2着メジロマックイーンは1番人気、3着ナイスネイチャは2番人気。因みにナイスネイチャは此処から3年連続で有馬記念3着に入線する事になる)。
- ハーツクライ……2005年の有馬記念で無敗三冠馬ディープインパクトに勝利した馬。それまで勝ちきれないレースが続いていたため「ダイユウサクみたいなもん」という評価もあった(ただし前走のジャパンカップは2着ながらレコードで、それ以前も善戦していた)が、産駒成績も含めて一発屋では終わらなかった。