概要
エマニュエル・ジャン=ミシェル・フレデリック・マクロン(フランス語:Emmanuel Jean-Michel Frédéric Macron、1977年12月21日 - )は、フランスの政治家。第25代フランス大統領、アンドラ共同大公。大統領府副事務総長、経済・産業・デジタル大臣を歴任した。
経歴
1977年12月21日にソンム県アミアンにて、学者の父と医師の母の間に誕生した。この地はアミアン大聖堂で有名である。
パリ政治学院と国立行政学院(ENA)を卒業後、財務省勤務を経由して銀行員となる。前後して社会党に入党し、銀行業務の知識を活かして経済方面で頭角を現していった。それを先代の大統領であるフランソワ・オランドに見出された事で本格的に政界での出世街道に乗り、2014年8月に第2次マニュエル・ヴァルス内閣で経済・産業・デジタル大臣として入閣した。
社会党は中道左派を指向する政党であったが、銀行員という経歴やオランドの意向もあって、公務員削減や規制緩和といった新自由主義的な経済政策を積極的に推進してきた事を大きな特徴としている。これは支持層には概ね不評で、悪く言えば八方美人な態度であった一方、伝統的に労使対立が激しかったフランス社会における橋渡し役となり、2010年代の世界的な右傾化ブームに対する一定の回答にもなったという側面も指摘されている。実際、マクロンも「左派でも右派でもない政治」を標榜し、既存の体制に囚われない斬新さで保守層や無党派層に幅広く支持を拡大させていった。
これが良い方向に現れたのが2017年4月に実施された大統領選挙であった。極右政党である国民戦線のマリーヌ・ル・ペン党首が内外で物議を醸しながらもじわじわと存在感を増していく中、その対抗馬としてマクロンが担ぎ出され、結果的にダブルスコアに近い得票差を付けて圧勝して大統領に就任した。同様の状況からドナルド・トランプの勝利を許したアメリカで、一層社会の混乱が加速した事を有権者が恐れたという消極的な意向があった感は否めないものの、保守層や富裕層からの支持を多数取り付ける社会党候補がいた事は紛れもない事実であった。
大統領就任後
2017年5月に大統領に就任して以降のマクロンはそれまでの姿勢はどこへやら独断専行が目立ち、情報公開すら渋り出すというアメリカのトランプ政権と何ら変わらない政権運営を始めてしまう。「若く異端である自身への権威付け」が目的と考えられているが、国民にとってはミイラ取りがミイラになったようなもので完全に逆効果となっている。さらに悪い意味での「苦労知らずのお坊ちゃん」的な面があらわになった暴言も目立つようになり、不況が続き、元々階級社会故に逆転が難しいフランスの社会に暮らす庶民の神経を逆撫でし続けている。
幸か不幸かル・ペンも自身の政治資金問題などで失望を招いているものの、このままマクロン政権が社会の調和を放棄すれば、いずれ国民戦線が盛り返す事は想像に難くなく、フランス社会の今後が案じられるところである。
2018年1月に徴兵制を再開すると発表した。無論徴兵制に賛成する国民も少なくないが、マクロン政権による徴兵制再開に関しては反対が非常に多い。
家族
2007年10月に演劇部の顧問で後にファーストレディとなる25歳年上の教師であるブリジット・オジエールと出会い、不倫関係となる。高校時代は演劇に打ち込み、彼女はマクロンの同級生の母親でもあった。これに怒った両親は転居して2人を引き離したが、マクロンは成人後にブリジットとの再会を果たし、見事(?)夫の座を射止めている。ピクシヴ的に言うならママショタ・女教師・寝取られ・白馬の王子様の主人公を1人で演じてみせたとんでもない紳士である。
1974年6月にブリジットは地方銀行員のアンドレ・ルイ・オジエールと結婚し、3人の子女が誕生したが、2006年1月に離婚した。
余談
日本では2018年11月に日産のカルロス・ゴーン元会長が逮捕されてから、「実はルノーによる日産の乗っ取りもとい、吸収合併計画の黒幕」という負のイメージが付いてしまっているようだ。