曖昧さ回避
国民連合(フランス)
硬派なジャン=マリー・ル・ペン時代
1972年(昭和47年)10月にアルジェリア独立運動反対等の右派勢力が集まって、ジャン=マリー・ル・ペン設立した政党。
当初は弱小政党だったが1980年代に入り、フランス経済が悪化して失業者等が激増すると支持を広げていった。
1986年(昭和61年)に行われた選挙では比例代表制になった事から270万3442票(9.7%)獲得し35議席を得た。
しかし、それ以降は小選挙区制やフランス経済の回復から次第に支持率が低下していった。
更にル・ペン党首のホロコースト否定などの度重なる暴言や1997年(平成9年)の国民議会議員選挙時に社会党候補に対する暴言にナンバー2のブルーノ・メグレが反発し、翌年の1998年(平成10年)12月の欧州議会選挙を巡り対立が激化。メグレは離党し、翌年1999年(平成11年)1月に新政党である「共和国運動」が結成され、国民戦線は大きな打撃を与えた。
この時期に党員や活動員がかなり激減したが、数年で勢力が回復し2002年(平成14年)の代表選挙にてル・ペン党首は決選投票まで残り、世界を震撼させた。
2004年(平成16年)の欧州議会選挙ではフランス全土で168万4868票を得て7議席獲得。
翌年、2005年(平成17年)に起きたパリ郊外暴動事件以後の世論調査では更に支持を拡大した。
更に躍進したマリーヌ・ル・ペン時代
2011年(平成23年)1月16日、党大会にてジャン=マリー・ル・ペンの三女であるマリーヌ・ル・ペンが選出された。
翌年、2012年(平成24年)に行われたフランス大統領選挙では17.9%の得票率であり、歴代最高記録を獲得得だった。
2013年(平成25年)、ヴァ―ル県議会補欠選挙の決選投票にて国民戦線の候補が54%の得票率を獲得した。
だが、マリーヌ・ル・ペン党首になってから穏健路線をとっているため、彼女の実の父親であるジャン=マリー・ル・ペンとは確執が深まり2015年(平成27年)10月に国民戦線から除名された。
尚、ジャン=マリー・ル・ペン元名誉党首は新党「Blue, White and Red Rally」を結成している。
そして2017年(平成29年)4月23日、フランス大統領選にて決勝候補の1人となり、マクロンと大統領選争いをした。
国民連合時代
2018年には党名を国民連合と改称し反ユダヤ主義、ファジズム、EU離脱派などから距離を取り脱悪魔化と呼ばれるソフト路線に舵を切る。
2021年の地方選挙では敗北、脱悪魔化による旧来の支持者離れ、他の政党との違いで埋没によるものと見られている
政治思想
黒人やイスラム教排訴を掲げており、他国からの移民によってフランス人の権利が奪われいる感情から一部のフランスの海外県や海外領土の黒人からも支持を得ている。
反同性婚も掲げており、同性愛を認めつつも法的に合法することを違法と明記している。
又、欧州連合に対して懐疑的な考えも持っており現在は違うがかつてはEU離脱やユーロからの脱退を掲げていた。
ブレクジットによるイギリスの混乱辺りから急進的な反EU路線は弱まっていった。
一方で保護主義的な側面を持っており、福祉の充実や関税強化などを推進している。
外交面ではロシアの強面ウラジーミル・プーチン大統領を評価しており、ウクライナがアメリカ合衆国により征服されたとみている。
更にNATOによるう反露主義に警鐘を鳴らしており、ドイツのアンゲラ・メルケルと対立している。
尚、2017年(平成29年)のフランス大統領選でル・ペン党首が大統領になったら欧州連合離脱関連の国民投票を実施すると公約にしていた。
結果的にマクロンには負けたものの1,000万票を得た事は非常に大きいと述べた。