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概要編集

ロシア連邦(及びロシア帝国ソ連)に対する反発・否定的な感情。


主な要因として、ロシアによるウクライナ侵攻クリミア半島問題、北方領土問題、他国の領海・領空侵犯や、権威主義的な政治体制への反発などがある。


日本には反共主義的なイデオロギーを理由にしてロシアを嫌う人もいるが、今のロシアは共産主義国ではないので、理屈としてはおかしい。もっともこれは、東アジアには中華人民共和国のような共産主義国家が健在で、ロシアもまた中国寄りの権威主義体制とみなされ同一視されるなど、冷戦時代の東西対立の構図がまだ残っていることによるのだろう。


各国における反露編集

アメリカ合衆国編集

NATOの事実上の盟主国。

冷戦にて資本主義国の盟主であったため、共産主義国の盟主だったソ連と敵対したが、これはイデオロギー以前に地政学的な構図(大陸国家のロシア対海洋国家の米国)が背景にある。このためソ連崩壊後も、ソ連の大陸国家的なスタンスを継承したロシアと敵対傾向になりがちである。


エリツィン政権下では緊張緩和傾向にあったが、プーチン体制のロシアは権威主義的傾向を強め、さらにクリミア半島併合やウクライナ侵攻などにより米国との対立が激化している。


ウクライナ編集

“兄弟国家”と呼ばれるほどロシアとの関わりが深い反面、歴史的な因縁も根深い。1917年のロシア革命を受けていったん独立するが、1917年に勃発したソ宇戦争で敗北し独立を失った。ヨシフ・スターリンの体制下ではホロドモールと呼ばれる飢餓が襲うが、ウクライナはこれを計画的なものだったと主張している。またスターリンの大粛清の一環としてヴィーンヌィルャ大虐殺などの事件が発生した。第二次世界大戦後、ウクライナとの縁が深い(民族的にはロシア人)ニキータ・フルシチョフによりクリミア半島がロシアからウクライナに移管される。

1991年、ソ連崩壊に伴い独立。領土問題や歴史問題などの争いは絶えないながらも両国の関係は緊密であった。2014年、ロシア系住民が多数派のクリミア半島をロシアが併合、さらに親露派の多いドンバス地域にロシアが傀儡政権を樹立したことで、ウクライナの世論を二分していた反露派と親露派のバランスが崩壊。2022年にロシアがウクライナへと侵攻したことにより、ロシアとの全面戦争に突入した。


ポーランド編集

ロシアとドイツの狭間にあるポーランドは、ロシア帝国とプロイセン・オーストリアのポーランド分割や、ソ連とナチス・ドイツポーランド侵攻などにより、度々分割され亡国に至った歴史がある。第二次世界大戦ではソ連の思惑によりポーランド西部がウクライナ領とされ、旧ドイツ東部領土を併合することでポーランドの国土自体が大きく西寄りに移動。政治的にソ連の影響下に置かれ(衛星国)、カティンの森事件などソ連の戦争犯罪を追及することがタブーとなった。1989年の東欧革命により衛星国から離脱。のちにNATOや欧州連合に加盟し、明確にロシアと対立した。


日本国編集

江戸時代、アジア進出を強めるロシアは北海道周辺で日本と度々衝突(文化露寇、ゴローニン事件など)し、鎖国下において国防論議(海防論)が高まるきっかけとなった。幕末から明治にかけてはロシアと対峙するため北海道開拓と近代化が急がれた。20世紀初頭、イギリスと結んだ軍事同盟(日英同盟)のもとロシア帝国と交戦(日露戦争)し勝利。ロシア革命後のシベリア出兵では日本軍がロシア領内に侵攻し赤軍パルチザンと戦った。


第二次世界大戦では日ソ中立条約を結んで日本は南進に力を注ぎ、ソ連は独ソ戦に注力。大戦末期にはソ連の仲介で対米講和が期待された。ところが、対日戦の意思を固めていたソ連にはその意思は全くなく、中立を破棄して降伏寸前の日本へと侵攻、日本の降伏後も侵攻を続けて満州や北方領土を占拠した。ソ連占領地域にいた日本人は軍民問わずシベリア抑留され、強制労働させられた。


第二次世界大戦後は西側諸国の一員としてソ連と対峙。ソ連崩壊後は北方への脅威意識が薄れ、政界では対中牽制の思惑からロシアとの友好を唱える親露派も一定程度存在したが、ウクライナ侵攻によりほとんど影響力を失った。


大韓民国編集

現在も事実上続いている朝鮮戦争において、ロシアは(韓国と交戦中の)北朝鮮を支持している。

韓国はこれに対抗するために、アメリカとの間に米韓同盟を締結し、NATOとも友好関係を築いてロシアに対抗している。


カナダイギリスドイツフランス編集

NATO加盟国であり、ロシアと対立している。


フィンランド編集

かつてロシア帝国の事実上の属国で、クリミア戦争後に反露感情が爆発した。

フィンランドの独立運動家・コンニ・シリヤクスは、日露戦争中に日本の支援を受けて反露運動を展開。フィンランドは1917年にロシアから独立した。

しかし、冬戦争にてソ連軍による侵攻を受ける。シモ・ヘイヘなどの活躍もあり善戦したものの、最終的に講和。領土をソ連に割譲した。その後、継続戦争において失地奪還を試みるも失敗。その後は衛星国化は免れるものの外交的にはソ連の影響下に置かれた(いわゆるフィンランド化)。ソ連崩壊後も中立政策を継続していたが、ロシアによるウクライナ侵攻を受けて2023年にNATOに加盟した。


トルコ編集

オスマン帝国時代、露土戦争にてロシア帝国と交戦するも敗北。その後、日露戦争における日本の勝利は高く評価された。

冷戦期に、ソ連に対抗するためにNATOに加盟。ソ連が崩壊した後も、ソ連の事実上の継承国・ロシア連邦に対抗するためにNATOへの加盟を続けている。


ジョージアモルドバ編集

国内で独立した親露地域を巡り、ロシアと対立中。


アゼルバイジャン編集

黒い一月事件ナゴルノ・カラバフ戦争においてロシアがアルメニア寄りの立場を表明し、反露感情が存在する。


バルト三国エストニアラトビアリトアニア編集

NATOに加盟しており、ロシアと対立している。


アルメニア編集

ロシア兵がアルメニア人の一家全員を殺害した事件などが原因で、反露感情が強い。


関連タグ編集

反共主義 反ソ

反中 反北

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