シベリア出兵
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しべりあしゅっぺい
第一次世界大戦の連合国と、ソ連赤軍の戦争。シベリア事変とも。
第一次世界大戦連合国(イギリス・日本・フランス・イタリア・アメリカ・カナダ・中華民国)が「革命軍によって囚われたチェコ軍団を救出する」を名目に、シベリアに共同出兵した、ロシア革命に対する干渉戦争。
連合国軍による干渉戦争には、アルハンゲリスクに上陸した北ロシア出兵や、イギリス主導により行われたバルト海戦線や南コーカサス戦線、フランス主導の南ウクライナ・クリミア遠征が含まれる。
各国は第一次世界大戦で疲弊しているなか、日本は1922年までシベリア出兵を続け、25年まで北サハリンを占領。しかし反ボリシェヴィキ政権を作るという目論見はパルチザンの抵抗により失敗に終わる。
共産主義の封じ込めという目的のほかに帝政時代の外債と、ロシア=アジア銀行などのさまざまな外資を保全する狙いもあった。この出兵で日本は3500名の死傷者を出し、10億円に上る戦費を消費したうえ、日米関係の悪化を招き日ソ国交回復も遅れた。
日本が描いたシベリア出兵の地図は日本語の発音で記されているせいで、地名が正しくない。
たとえばクラエフスキーは『キロフスキー(KИPOBCKИИ)』がだと言われている。
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