概要
北海道のほぼ中心近くの上川盆地にある市(中核市)。上川総合振興局(旧上川支庁)所在地。道北(上川支庁+宗谷支庁+留萌支庁)の人口の過半数が集中する日本最北の大都市である。
道外の人には函館市の方が人口が多いと思われがちだが、本市は人口約33万人で道内第2の人口規模を有する。木材工業が盛んで、本市周辺で製作された家具は「旭川家具」 と名付けられている。
余談
日本一自然災害が少ない街
上川地方は地震・強風・洪水などの自然災害が日本国内としては極端に少なく、市では「日本一自然災害が少ない街」をアピールしている。過去上川地方では局地的な洪水や火山噴火による土石流はあったものの、市街地に被害を及ぼしたことはなく、また、内陸にあるため高潮や津波は起り得ない。
なお、同地方では長らく震度5以上の地震を観測したことが一度もなかったが、2022年8月11日未明に中川町で震度5弱、震度5強の2回の直下型地震が発生した。もっとも、中川町と旭川市は約120kmも離れており、旭川では体感できるほどの揺れを観測しなかった。
降水は一年を通じて安定しており渇水(水不足)に見舞われることもなく、降雪も北海道としては少なめ。ただし、内陸性気候のため、年間を通じての温度変動が激しい。近年は減少したが真冬には-20℃以下になる日もある。
上川離宮計画
明治期には北方の開発を進めるため、首都機能を東京から分散する計画があった。現在の上川神社に離宮を開設し「北の京を上川に置く」というものであった。
第七師団
かつては屯田兵を母体にした旧日本陸軍の第七師団が設置され、軍人やその家族、軍の関係者などが移り住み「軍都」として発展した。
現在は陸上自衛隊第2師団司令部が移駐している。
旭川空港
就航率99%以上をキープし続けていることで有名な空港(2018年で99.7%)。
その秘密は規模の小ささゆえの管理のし易さと自然災害の少なさ、豊富な経験から生み出された除雪マニュアル。発着先が悪条件に見舞われる以外の原因で欠航する事はまずない。
2018年の北海道胆振東部地震でも飛行機を飛ばした(なお新千歳はダウンしている)。
歴史
- 1890年(明治23年) - 上川郡に旭川・永山・神居の3村を設置。
- 1891年(明治24年) - 永山村に屯田兵入植。
- 1892年(明治25年) - 旭川村(現東旭川地区)に屯田兵入植。
- 1896年(明治29年) - 旧陸軍第七師団が編成・設置。
- 1900年(明治33年) - 旭川村を旭川町に改称。
- 1902年(明治35年)1月25日 - 国内観測史上最低気温(摂氏氷点下41.0度)を記録。
- 1914年(大正3年) - 北海道区制施行、旭川区となる。
- 1922年(大正11年) - 市制施行、旭川市となる。
- 1945年(昭和20年)8月16日 - 釧路市と留萌市を結ぶ線より北東側の北海道をソ連占領地域とするようソ連のスターリンが要求、旭川もこの地域に含まれていたがGHQはこれを拒否した。
- 1952年(昭和27年) - 保安隊第2管区総監部(現陸上自衛隊第2師団司令部)が移駐。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 神居村・江丹別村を編入。
- 1960年(昭和35年) - 第1回旭川冬まつり開催。
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 永山町を編入。
- 1963年(昭和38年)8月15日 - 東旭川町を編入。
- 1967年(昭和42年) - 旭川市旭山動物園が開園。
- 1968年(昭和43年)3月1日 - 神楽町を編入
- 1971年(昭和46年)3月2日 - 東鷹栖町を編入。
- 1972年(昭和47年) - 日本初の恒久歩行者天国である平和通買物公園を開設。
- 2004年(平成16年)7月 - 8月 - 旭川市旭山動物園の月間入園者数が日本一を記録。
- 2006年(平成18年)旭川市旭山動物園の月間入園者数が4か月連続で日本一を記録(6 - 9月)、2006年度入園者数300万人突破。