概要
1926年1月に設立された。
もともとは路面電車事業を行っており、2路線を運行していたが1972年に廃止されている。軌道事業廃止後も社名が変わっていない。このように鉄道・軌道事業廃止後も社名に鉄道を連想させる単語が含まれている例は岐阜県の東濃鉄道などがある。
なお、バス事業を始めたのは1933年3月である。ただし諸事情により1944年9月に一度は撤退させられたものの1952年7月に再参入を果たしている。また、1963年4月には同業者の旭川バスを吸収合併している。
車両
三菱ふそう、日野、UDトラックス、いすゞの4メーカーの車両を導入している。古くから全長11mクラスの長尺車が多く在籍しており、1963年から1978年にかけて全長12m・前輪2軸・定員110名という長大車である三菱ふそうMR430型(呉羽車体)が在籍していたが、このMR430型は国内では名古屋鉄道自動車事業部、国鉄バスにしか導入されなかった希少種で、呉羽車体製を導入したのは旭川だけである。
2022年10月に、隣町の東川町の自動車整備工場に置かれていたスクラップ寸前の同車を引き取り、設立100周年事業としてフルレストア。部品の8割を交換したというが、エンジン自体は当時のままで、問題なく動いているという。
今後は動態保存車として定期的に動かし、イベントなどで活用する予定。
1987年より道内の路線バスで初めて新車の冷房車の導入を開始。90年代に入ると神奈川中央交通で廃車された中古車を100両以上購入し、7割以上の車両を冷房化。道内路線バス事業者随一の冷房化率となった。2015年現在は在籍車両全てが冷房車である。
1997年にはエアロスターノンステップを新車で導入。これは日本におけるノンステップバス黎明期に、10台というまとまった台数を、積雪地で初めて導入したという稀有な例で、バス雑誌等で話題になった。以後積極的にノンステップバスの導入を進め、2011年3月末日時点でノンステップ車が175台中81台を占めているが、ワンステップ車の導入は遅く2013年になってから。
さらに、1999年には東京空港交通からかつてつくば万博のシャトルバスで使用されていた連節バスを3台購入し、通学需要の高い路線に2004年まで運用していたこともある。
軌道事業
宗谷本線旭川四条駅から東川駅までを結ぶ東川線と東川線旭川追分駅から分岐し、旭山公園駅までを結ぶ東旭川線を運行していた。貨物輸送も実施していたが、廃線まで機関車を持たず、電車が貨車を牽引するスタイルだった。
線路は一部を除き道路の路肩部分に敷設され、郊外電車のような雰囲気を呈していた。なお車両は路面電車規格の小型電車ではなく、一般的な鉄道規格の大型車が運用されていた。大型車であってもステップは設置されておらず、道路中央にある駅であってもプラットホームが設置されていた。