概要
永禄3年(1560年)(もしくは永禄6年(1563年))に、武田信玄の七男(もしくは六男)として誕生。母は禰津御寮人(里美)。
信玄の死後、信玄の嫡男にして四男・武田勝頼(信清の異母兄)が武田家を継ぐ。勝頼は、天正7年(1579年)に上杉景勝(上杉謙信の後継者にして養子にして甥)と同盟(甲越同盟)を締結する。その証として菊姫(信玄の五女で、信清の異母姉)は景勝と結婚し、彼の正室となる。
天正10年(1582年)、武田家は織田信長の侵攻により滅亡。その後、信清は菊姫の縁を頼り、彼女の夫である上杉景勝に仕えた。信清は景勝の義弟であるため、厚遇されて上杉家御一門衆筆頭になった。景勝が初代米沢藩主となったのちに他界しても、彼の嫡男・定勝に仕え続けた。
寛永19年3月21日(1642年4月20日)に、83歳(もしくは80歳)で他界。信玄の息子たちの中で最も長生きした(信玄の娘たちの中で最も長生きした人物は、享年98で他界した信清の異母姉・真理姫)。
信清の子孫も、明治維新まで上杉家に仕え続けた。