初版作成の意図
自己表現の叩き台となることを望んで作られたものなので、専用言語や事典としての編集校正は読者諸君に任せられている。
また、二次創作をするに当たって設定上不都合であると感じたことについて執筆が行われたが、異なる種族がいる設定の世界、あるいは極端に格差のある社会では自然と出てくる問題であり、創作活動自体には何の問題もない。
前書き
まず、この用語は初版作成者によって作られたものである。
初版作成者は、東方シリーズでカップリングをする際の寿命問題について、避けることは難しく、憂慮の対象だと考えている。
解説
「盗んだ?人聞きの悪い。死ぬまで借りるだけだぜ。」
原作の霧雨魔理沙の「死ぬまで借りる」発言であるが、もし寿命のことを意識した上で考えられたセリフであった場合、強ち的外れではないと言える。つまり、持ち主は妖怪(森近、アリス)や魔女(パチュリー)が主であり、人間である魔理沙はどうあっても元の持ち主より長く生きることはできないということである。
種族による寿命の多寡
妖怪の寿命というものは短くて数百年、長ければ数万年にも亘る。仮にレミリアの肉体年齢を10歳とすると実際は500歳以上ということは、吸血鬼の1年とは人間のたかだか1週間程度に相当する(生物学の『ゾウの時間ネズミの時間』などが詳しい)。
他に、レミリア・スカーレットの年齢を分子にして八意永琳の年齢を分母にするとほぼ零になる、という設定を用いれば、えーりんは億単位の年齢の持ち主ということになる。
蓬莱人の場合はそもそも不老不死であるがゆえに、これもまた寿命有限の存在とはいつか別れなければならない。たとえ別れの対象との接触時間が人間と妖怪との間のものに比べて長くても、だ。
また、西行寺幽々子はそもそも死んでいるので問題はないが、これも人間としての生誕は西行法師の娘という設定から、数世紀前から存在していることになる。
魂魄妖夢がたとえ半分幽霊だとしても(森近も妖怪要素は半分だが)逆に言えば半分は人間である以上有限存在ということになる。妖夢の祖父と覚しき妖忌も出てきていない。
また、八雲紫は人間が原人の頃にすでに存在していた、という設定が存在する。一部創作では、永琳や幽々子とタメ口で話しており、それ相応の能力の他に存在年数も限りなく長いと考えられる。
世代の概念
紫の「次の博麗の巫女には期待したい」や、稗田乙女の例を見ると、幻想郷における重職の者は人間であり、なおかつ代数を重ねているという点に着目できる。異能の者とは言え結局は人間で、現に稗田乙女は契約上、寿命が30年と決まっている。また、霊夢は博麗の巫女の18代目だった。
また、博麗大結界は博麗神社と八雲家が共同管理していることになっているが、事実上、いくら紫の能力を超越する巫女が現れようと、紫は相手の寿命を待てばいいだけなのである。
つまり、現在幻想郷は小康状態の平和を保っている一方、覇権や主導権は妖怪側が握っており、重職を担っている人間も妖怪側の時間概念からすれば、その存在に対して執着を持つ理由は乏しい、と考えられる。
上下関係と解決策
幸い、幻想郷は幻想郷専門の黄泉の国が存在するため、裁判官である四季映姫の理解が得られれば妖怪側を弾劾することができるし、また転生も交渉すれば可能である。そうでなければ、早晩、幻想郷の人間は全て妖怪の家畜と化すことが予想される。事実、八雲紫は人肉を喰らい、スカーレット姉妹は人血を啜っている。向こう側に野心がない、あるいは必要がないと思っているだけで、やろうと思えばできるはずである。
また、東風谷早苗は「奇跡を起こす程度の能力」であり、諏訪子、神奈子共に神である。四季映姫も少なくとも異能者・退魔師であることに間違いはない。もし彼らの外界入りが成ったとしたら場合によっては、地球が死の星になるようなこともあるかもしれない。
創作における実際
公式で幻想入りをしている作品も登場している。
初版作成者も、主人公に異能を装備させる、あるいは血脈に退魔の遺伝子を仕込ませること、四季映姫に好感を抱かせるようにすることの二点に注意し、幻想入り、現代入り・未知との遭遇の全てを筆者は平成十八年夏ごろに執筆を行ったことがある。
外界の者が幻想郷入りしたり、逆に幻想郷の者が外界に行くなどで、接触を保っているという動画・画像・小説もあり、幻想郷には外界で忘れ去られた物が持ち込まれるという設定が使われることもある。