ロート製薬
ろーとせいやく
概要
前身は1899(明治32)年創業の「信天堂山田安民薬房」。
1908(明治41)年に現在のブランド名となる「ロート」の商標を取得する。
1931(昭和6)年、現在の目薬のスタイルである「両口式点眼瓶」を開発。
以降同社の「ロート目薬」は爆発的ヒット商品となる。
1944(昭和19)年、米軍による都市無差別爆撃(大阪大空襲)により、現在の大阪市中央区心斎橋にあった本店を焼失、以降事実上の休眠状態となっていたが、1949(昭和24)年、創立50周年記念を兼ねて後身となる現在の「ロート製薬株式会社」を創設。
ロート製薬となってからは、同じ大阪市の東成区に本社を構えたが、市内・大阪府下に点在していた工場を集約する目的で、間もなく生野区巽(1955年に大阪市に編入されるまでは、大阪府中河内郡巽町)に現在の大阪工場を建設。1959年に竣工・稼働開始し、同時に本社も新・大阪工場内に移転した。
以降医療品・化粧品の生産を手がけていくが、現在は処方箋を必要とするいわゆる医療用医薬品は取り扱っておらず、医薬部外品と、化粧品扱いになるスキンケア用品のみ製造・販売している。
また2021年8月末には、痔の薬「ボラギノール」を製造している天藤製薬の株式の過半数を取得し、ロート製薬の子会社とした。
CI(コーポレート・アイデンティティ)
2018年時点でのCIは、「NEVER SAY NEVER」である(参照)。
同年時点での一社提供番組(BS-TBSの「彩~日本遺産~」)においては、
番組冒頭このCIと共にロート製薬提供の表示がなされる。
また、同年6月にはそのCIと似た姓を持つ公式バーチャルyoutuberが誕生した。
オープニングキャッチ
過去にはテレビ番組の一社単独提供をしていた事が多く、同社の一社提供番組の開始時には「ロート・ロート・ロート♪~」の音楽が流れるオープニングキャッチが流れていた。
『アップダウンクイズ』・『クイズダービー』(以上TBS系列)・『三枝の愛ラブ!爆笑クリニック』(フジテレビ系列)など著名番組の一社提供(但、フジテレビ系列の番組はすべて60分番組、かつ前半枠のみ)を手がけていたため、主に1980年以前生まれの者にとっては特に馴染み深いものである。
版が何度か変わっており、初代は現本社工場の竣工から間もない1962年(昭和37年)に撮影された。当時、まだ生放送以外のビデオ録画制作は行われておらず、32ミリまたは16ミリムービーフィルムによる撮影だった。当時のテレビはまだモノクロが主流であったが、カラー化を見越してカラーフィルムで撮影が行われた。ハトは画面に映えるように飛ぶように、社屋屋上で餌付けしてタイミングを見計らったという。原版はこの初代のものだけである。
当時はロゴ(後述)と社名のみだったが、1976年からの2代目ではロゴを省き、「(番組タイトル)/提供/ロート製薬」の3段表示に変わった。
1989年6月にCIでのロゴ変更が行われた際は初代の映像をそのまま使用しつつ、演出の変更(番組タイトルと社名の一括表示から、番組タイトルの表示後に社名を表示する様になった)を行った。これが3代目に当たる。
3代目では、社名表示が「提供/RR(赤と青のダブルR。当時のCI)/ロート製薬」の3段表示になった。ここまで3代の歌唱は混声合唱。
1993年からの4代目は社屋のロゴと合わせてBGM(大阪パフォーマンスドールによる歌唱)の変更を行っているが、この際はCGによるレタッチが行われたのみである。
大阪パフォーマンスドールによる歌唱は、この4代目のみで終わった。
オープニングキャッチで見られる社屋正面の池は1993年の段階では既に現存せず、埋め立てられた今は駐車場になってしまっている。
その後は1996年秋にBGMのみ変更(5代目)、2004年に再度のCIでのロゴ変更に伴い改変を受けている(6代目)。
2010年に『SMAP×SMAP』の前半枠の一社単独提供から降りたのを最後に、このオープニングキャッチは現在使用されていない。
2015年、『妖怪ウォッチ』とのコラボショートアニメを製作。
冒頭部がOPキャッチのセルフパロディとなっているが、社屋が現在の姿になっていることにも注目。このアングルは原版とは別の場所からである。
2020年には同社の目薬発売111周年を記念したCM(関根勤が出演。下部に動画あり)で、オープニングキャッチのBGMがピアノ演奏によるアレンジで復活を果たしている。
このほか、『クイズダービー』の姉妹番組として日本レジャーチャンネルで放送された『クイズ競艇ダービー』では、同キャッチのパロディがOPになっていた。本家に敬意を表してか、音程は大幅に変えてある。
関連動画
111周年CM
余談
商標の由来
「ロート」の商標の由来は、ミュンヘン大学教授のアウグスト・フォン・ロートムントである。目薬の処方を手掛けていた井上豊太郎(1908年当時の日本国内における眼科医学の権威)がドイツ留学時代、そのロートムント教授の薫陶を受けたことから、恩師の名を戴き「ロート」としたという。本来、ロートとは独語で「赤い」(英語のレッドに当たる)を意味し、「赤い→目の充血」につながることから、目薬の名称にピッタリ当て嵌まったのだと考えられる。
65年間使われた初代ロゴ
前述の『アップダウンクイズ』などが放送されていた時代の同社一社提供番組のエンドカードは独特で、番組タイトルのあと、ブルーバックに、「提供」なしに「ROHTO/ロート製薬」と表示されていた(30分番組の場合。60分番組では前半枠の終わり際に、画面下部に表示)。TBS系列で放送されていた番組ではクロスプログラム導入後、一般的な「提供→番組タイトル」の順になっている。
この当時の企業ロゴはイタリック体で、「R」の傾斜した払い棒の上に「OHTO」が乗る形になっていた。元来このロゴは、ロート目薬が両口式点薬瓶方式にリニューアルされた後の1934年に使われたのが始まりで、ロート目薬のロゴだった頃はさらに「OHTO」の上に「Eye-Lotion(ただし、戦時中は独語の“Augentropfen”に差し替え)」も付加されている。
戦後の一時期に販売されていた「ロート胃腸薬」「ロート頭痛薬」「ロートパスタ(泥膏)」で、ロート目薬のロゴから「Eye-Lotion」を省いたものがロゴとして使われたが、前述の同社一社提供番組のオープニングキャッチが1962年に開始された際、これが企業ロゴに転用され、以後1989年5月まで27年、ロート目薬のロゴから数えると実に65年もの長きにわたり使われていた。