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松坂大輔の編集履歴

2023-01-08 01:27:53 バージョン

松坂大輔

まつざかだいすけ

東京都出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。

プロフィール

最終所属埼玉西武ライオンズ
出身東京都江東区
生年月日1980年9月13日
身長・体重188cm、107kg
投球・打撃右投右打
守備位置投手
プロ入り1998年ドラフト1位

概要

幼少期は体力が有り余って暴れん坊であったため、家族が近所の花屋の勧めで剣道道場に入会させ、以降道場通いが小学3年生まで続いた。道場の稽古は極めて厳しく、指導者は未就学児をひっくり返して蹴飛ばし、気が抜けていれば羽目板にぶつけ、泣いたら泣き止むまで追いかけ回した。


1998年(横浜高校3年)、全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)準々決勝でPL学園と延長17回の死闘を演じ、決勝でノーヒットノーランを達成して優勝し、「平成の怪物」と呼ばれる。

1999年、ドラフト1位で西武ライオンズに入団。高卒1年目にして、新人王・最多勝・沢村賞に輝く。


どすこぉ~い

2007年にはポスティングシステムを利用し、MLBボストン・レッドソックスへと移籍。

同年のワールドシリーズ制覇の立役者として大車輪の活躍を見せた。

しかし、2011年に肩の手術を行って以降、成績が下降気味となり、2013年2月にクリーブランド・インディアンスに移籍、早くもその年の8月にニューヨーク・メッツにトレードされる。

2年間で6勝を挙げるもFAとなり、2014年12月に福岡ソフトバンクホークスに入団することが決まった。


2015年シーズンは怪我で1軍登板が出来ず。2016年はわずか1登板のみ。2017年も登板することはなく同年オフに退団となった。本人は現役続行を希望していたが、老いによる劣化もあり、選手としての評価は中々に厳しいようであった。


その後、中日ドラゴンズが獲得を表明。2018年1月中に入団テストを実施、合格して入団となった。背番号は99。中日移籍後の2018年シーズンは先発投手として登板し、敗戦投手となってしまう場合が多いものの投球内容は良好で、クオリティー・スタート(先発6イニングを投げて自責点3以内)を2回達成するなど結果を残し、先発ローテーションの一角を守る。3回目の登板時には日本球界復帰後初勝利を挙げ、日本では実に4241日ぶりの勝利投手となった。このシーズンは6勝を記録し、カムバック賞を受賞した。

かつて、「平成の怪物」と呼ばれた男は、平成の終わりに見事に復活を遂げ、2019年のシーズンはエースナンバーの「18」を背負うことが発表された。


2019年レギュラーシーズン終了後、森繁和球団シニアディレクター(SD)、デニー友利国際渉外担当らが退任を受け、松坂も退団を決意。同年12月、古巣・埼玉西武ライオンズへの入団・復帰が決まった。背番号は「16」。

西武復帰後は右手のしびれ等の影響もあって登板がなく、2021年7月に現役引退を表明した。

10月19日に行われた引退試合(北海道日本ハム戦)では背番号を「18」に変更して先発登板し、横浜高校の後輩である近藤健介に対し、5球を投げ四球を与え、降板した。

松坂世代

彼と同学年(1980年4月2日-1981年4月1日生まれ)のプロ野球選手を「松坂世代」と呼ぶ。

なお、選手一覧は松坂世代の記事を参照。


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