概要
ロシアとキューバの関係(ロシアとキューバのかんけい、ロシア語:Российско-кубинские отношения、スペイン語:Relaciones Cuba-Rusia、英語:Cuba–Russia relations)は、ロシアとキューバの両国関係の事である。両国関係は政治的・経済的・文化的交流を反映しており、冷戦時代にキューバはソ連と同盟関係になった。ソ連が崩壊した後はキューバに対する援助が停止し、人道的災害が島で発生した。
両国の比較
国名 | 政体 | 現在の首脳 | 国土 | 人口 |
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ロシア連邦 | 半大統領制 連邦共和国 | ウラジーミル・プーチン | 1712万5191平方キロメートル | 1億4718万2123人(2021年10月) |
キューバ | 一党独裁制 社会主義共和国 | ミゲル・ディアス=カネル | 10万9884平方キロメートル | 1111万3215人(2021年12月) |
歴史
ロシア帝国
1902年5月にキューバが独立した直後、トーマス・エストラーダ・パルマ大統領はロシア皇帝ニコライ2世に外交関係の樹立に関する書簡を送った。同年7月にニコライ2世は同意し、1913年8月になって初めて、サンクトペテルブルクにキューバの最初の領事館が開設された。
ソビエト連邦
1917年10月以降キューバはほとんど全てのラテンアメリカ諸国と同様に、ソビエト・ロシアを長い間認識していなかった為、外交関係は断絶された。それにも関わらず、両国間の非公式な外交関係は続いた。1925年7月にマヤコフスキーはメキシコに向かう途中でキューバを訪問し、1931年6月に亡命白人のヤヴォルスキーが、島で最初のプロのバレエ学校の教師になった。1941年6月のソ連に対する枢軸国の攻撃の後、キューバでソ連に対する支援キャンペーンが開始された。
1941年7月にソ連を支持する4万人のデモがハバナで開催され、4万袋の砂糖・100万本の葉巻・その他の可能性のある支援をソ連に送るという決議が採択された会議が開催された。その後はソ連を支援する為、100以上の委員会が国内に設立された。1942年6月にキューバの民主主義・労働者・労働組合組織は、110トンの商品(コーヒー・タバコ・タバコ・石鹸・ブーツ用の革など)を集め、ソ連に対する贈り物として送った。
1942年10月にソ連とキューバの外交関係が確立されたが、冷戦の開始と共に悪化し始めた。1949年5月にキューバ当局は、ソ連に友好的なウクライナ・ベラルーシ委員会の構成員であった11人のソ連市民・別の11人のキューバ人を逮捕した。1952年3月にフルヘンシオ・バティスタがクーデターによってキューバで権力を掌握し、スターリンは同年4月にキューバとの外交関係を断絶する事で対応した。1959年1月にキューバで革命が達成され、同年2月にフィデル・カストロが権力を掌握し、1960年5月に外交関係が回復した。
1961年4月にピッグス湾での作戦が失敗し、アメリカが力ずくでカストロ政権を打倒しようとするまで、キューバの新政府に対するソ連の指導部の態度は不確かなままであった。同年5月にフィデルはキューバが社会主義的発展の道を辿ると公然と宣言し、これはキューバに対するクレムリンの態度を劇的に変えた。ソ連の技術者・軍事専門家・武器はアメリカの介入が繰り返されるのを防ぐ為、すぐにリバティ島(キューバの非公式の名称)に向かった。
1962年7月にラウル・カストロはソ連を訪問し、そこでニキータ・フルシチョフと面会した。彼らはアメリカの侵略からキューバを確実に守る為、ソ連の中距離ミサイルを島に配備すべきである事に同意した。同年10月にキューバにソ連の核兵器が配備されているのをアメリカが発見し、キューバ危機が勃発した。フルシチョフはトルコでの同様のアメリカ製ミサイルの解体・キューバに対する非侵略の保証と引き換えに、ミサイルをソ連に返還する事に同意した。
1963年4月にフィデル・カストロは歴史的なソ連への訪問を行い、建設プロジェクトで特にシベリアの水力発電所を再開した。フィデルはまたソ連の農業の発展についても話し、キューバで社会主義を構築するという内部の課題を解決する為、ソ連の経験を利用する必要性を何度か強調した。フィデルはソ連が「キューバへの愛と連帯を行動で表明した。」と断言し、訪問中にフィデルとフルシチョフは砂糖の生産の増加という主な問題を解決する為、新たな砂糖の輸出の割り当てと農業の方法について交渉した。
1972年7月にキューバはソ連が主導するコメコンに加盟し、1991年6月に機構が解散するまで残留した。1974年1月にレオニード・ブレジネフはキューバを訪問したが、崩壊する前にソ連はキューバを積極的に支援し、あらゆる産業の何千人ものソ連の専門家が島で勤務していた。医学の分野では特に進歩があり、キューバの医師は今でも世界で最も有能な医師の1人と考えられている。キューバは原則として、主要な輸出品目である砂糖でソ連の援助を支払った。
1989年4月にミハイル・ゴルバチョフがキューバを訪問した時、モスクワとハバナの緊密な国家関係は、ソ連での経済的・政治的改革の実施によって緊張していた。カストロは同年11月に「私たちは他の社会主義国で悲しい事を見てきた。非常に悲しい事だ。」と述べ、ソ連・東ドイツ・ハンガリー・ポーランドなどの様々な同盟国で適用されていた改革に言及した。1991年12月のソ連の崩壊はキューバに壊滅的な影響を与え、キューバが主要な商業上の同盟国を失い、アメリカが実施した封鎖の影響を強めるという特別期間が始まった。
ロシア連邦
1991年12月にソ連が崩壊して以来、ロシアとキューバは外交関係を維持している。ウラジーミル・プーチンが2000年5月に権力を掌握した後、両国関係は深化した。同年12月にプーチンはキューバを訪問し、フィデル・カストロと共にキューバに対する禁輸措置の解除を求めた。ロシアは依然としてキューバの主要な債権国であり、両国は互いに緊密な貿易・経済関係を維持している。キューバは2008年8月の南オセチア戦争において、ロシアの立場を強く支持した。
2008年11月にドミートリー・メドベージェフはキューバを訪問して経済関係を強化し、ロシア企業によるキューバ海域の沖合での石油の掘削・ロシアの鉱山会社がキューバにニッケル鉱山を持つ事を許可した。ラウル・カストロは2009年1月にモスクワを訪問し、会談にはハバナに対する2000万ドルの融資・キューバに対する人道援助として2万5000トンの穀物の供与が含まれていた。
2009年7月にロシアはキューバとの協定を締結した後、メキシコ湾で石油の探査を開始した。新たな協定の下でロシアはまた、建設・農業機器を購入する為に1億5000万ドルの融資を提供した。2013年2月にメドベージェフは再びキューバを訪問し、教育・健康・水文気象学・航空学・宇宙技術に関する協定を締結した。
2014年7月にプーチンはラテンアメリカ歴訪の一環としてキューバを訪問し、ラウル・カストロと会談した。その前に彼はソ連に対するキューバの債務(350億ドル)の90パーセントを帳消しにし、残りの10パーセント(35億ドル)はキューバ経済に投資する事になっている。ロシアとキューバの外相は、国際的な情報セキュリティにおける協力に関する政府間協定を締結した他、「宇宙に兵器を配備する最初の国では無い。」という声明を発表した。
2022年2月にロシアはウクライナに対する軍事侵攻を実行し、この侵略は広く国際的な非難を受けたが、キューバはロシアの行動を非難する国際連合決議の投票を棄権した。同年11月にミゲル・ディアス=カネル大統領はロシアを訪問し、債務の返済の延期と引き換えに、ロシアの指導者に対する支持を表明した。ディアス=カネルはロシアによるウクライナの4州の違法な併合を称賛し、アメリカがNATO加盟国を拡大する事で戦争を引き起こしたと非難した。
経済
2005年4月に貿易・経済・科学・技術協力の為の政府間ロシア・キューバ委員会の第6回会合がモスクワで開催され、そこで5つの作業部会の設置・相互に有益な経済プロジェクトの議論がなされた。同年12月から2006年3月にかけて、2機のIl-96-300が1億ドル以上でキューバに納入され、同年4月に同じ条件で更に5機のロシア製旅客機を購入する為の新たな契約が締結された。投資協力の成功例は、カマーズ車のエンジンの組み立て・修理の為の合弁会社である。