アルテッツァ
あるてっつぁ
概要
海外ではレクサスブランドに編入されており、ISの車名が与えられていた。ちなみにISには4気筒エンジンを搭載するスポーツモデルは設定されず2000ccと3000ccの直列6気筒モデルのみの設定である。
FR駆動のスポーツセダンとして登場。
グレードは高級志向のAS200とスポーツ志向のRS200が用意された。
しかし、どちらも排気量2000ccでありながらAS200は6気筒、RS200は4気筒であり、気筒数の少ない方がスポーツ志向という、当時の常識とは逆の現象が起こっていた。
外装のどこにもトヨタのエンブレムが無く、また17インチのホイールと扁平タイヤも当時は珍しかったため、デザインは他のどの車にも似ていない個性的なものとなり、現在に至るまで評価が高い。
腕時計をモデルにしたクロノグラフメーターも斬新で、本車のアイコンの一つとなっている。
他にも、量産車初のクリアテールや、球体型の金属製シフトノブ(マイナーチェンジで革製に変更)といった特徴的な装備を有した。
元々はもっと軽量コンパクトになる予定だったが、開発途中で高級路線に方向転換し、プログレのシャーシをベースに用いて肥大化した経緯がある。
そのため車重が1300kgを越えてしまい、車格の割に重くなってしまった。
また、エンジンも設計の古い既存機を手直ししたもので実用回転域でのトルクが細く、運動性能は軽快感に乏しい。
当時は「AE86の再来」などと雑誌でもてはやされ、RS200は若者に人気を博した。
ただし先述の通りパワー不足が頻繁に指摘されており、ターボチューンが定番化。
トムスからはターボ仕様のコンプリートカー「280T」が台数限定で発売された。
2001年にはステーションワゴン版のアルテッツァジータが登場。
こちらはRS200に代わって3000ccのAS300が設定され、より高級路線が強く表れていた。
2005年に生産終了。
同年にレクサスブランドの国内展開により発売された二代目ISが後継車種である。
現役時代は本車を用いたワンメイクレース「ネッツカップアルテッツァレース」が開催されており、アマチュアからプロまで幅広いドライバーが参戦した。
このレースで成績を残し、後にスーパー耐久などにステップアップしたドライバーも居る。
谷口信輝はその代表例で、アルテッツァレースでモータースポーツデビューし、後に国内最高のツーリングカーレースであるSUPERGTにまで上り詰めた。
そのスーパー耐久でも活躍した他、海外ではニュルブルクリンク24時間レースに出走した実績もある。
2007年には、トヨタの社内チームである「Team GAZOO」が中古車のアルテッツァ2台で参戦し、どちらも完走。当時副社長だった豊田章男も自らステアリングを握った。
この成功を機にトヨタはニュルブルクリンクでのスポーツカー開発を本格化し、後のTOYOTA_GAZOO_Racing発足へと繋がってゆく。
余談
- 本車の6速MTはアイシン製の汎用品で、日産のS15シルビアと同じものである。S15でも問題になった通り、このミッションは強度が低く、スポーツ走行時にブローが多発した。先述のワンメイクレースでもブローする事があり、上位陣はスペアミッションを何基も用意していたという。デフも同様に強度が低かった。
- 発売当初はFRということでドリフトを試みるユーザーが多かったが、上記の通り駆動系の弱さ・重い車重・パワー不足と、ドリフトに不向きな性格であることが発覚。雑誌やビデオのインプレッションでもプロドライバーから同様の指摘をされており、ドリフト方面でイメージを確立することはなかった。ただし、突出したスペックを持たないが故に「FR車の基本を覚えるのに最適な一台」と評されることがあり、プロドライバーが中古車を買い求めて乗るという話も多い。
- RS200に搭載された3S-GE型エンジンは横置きに特化した設計だったため、縦置きであるアルテッツァへの流用に当たり大幅な設計変更を施している。また、長い歴史を持つ同エンジンが搭載された最後発の車種であった。
- 先述の谷口信輝は何かとアルテッツァに縁があり、ワンメイクレースの他、スーパー耐久、マカオグランプリ、D1グランプリでそれぞれアルテッツアを駆った実績がある。