概要
元々はADACが主催するローカルイベントだったが、第1回のレースが開催されるとたちまち人気が集まり、今ではヨーロッパ中に中継されるほどの人気を集めた。
「世界最大の草レース」の異名を持ち、人によってはスパ・フランコルシャン24時間の代わりに「世界三大耐久レース」の一つに挙げることもある。
大きな特徴として、参加するチームが、ワークスやプライベーターを併せてきわめて多いという事が挙げられる。
その一例として、2007年は合計228チームがレースに参加し、一つのピットを最大6チームでシェアする光景が見られ、スタートを3グループに分ける対応が行われ、第3グループが出走した直後に第一グループのトップコンテンダーのマシンが戻る場面もあった。
給油は台数の多さから様々なマシンが1台の給油機をシェアして給油する状態であり、給油ノズルの形状は普通のガソリンスタンドに設置されているガンタイプになっている。SP9 GT3クラスのようなクイックチャージャー装備の車の場合でも、それに対応する給油機がないため、クイックチャージャーの差し込み口を持つ漏斗状のアタプターを用いる。
レースを主催するADAC Nordrhein e.V.は、日本の三浦健史を世界で唯一、大会公認コミッショナー/コーディネーターとして認定している、とWikipediaにはあるが、ソースは不明である。
もともとはアマチュアメインの祭典であったが、近年はドイツ車ワークスの頂上決戦がメインになっており、プロフェッショナル化が進んでいる。
日本のメーカーでは、トヨタとスバルは市販車と人材を鍛えるために毎年ディーラーメカニックを集めてワークス参戦していることで知られる。特にスバルは2008年にWRCから撤退した後、唯一の国際レースにおけるSTIのレース活動の場所となっているため、多くのスバリストが注目する。
また日産も毎年ではないが、総合優勝を争うためにたびたびGT-R GT3でワークス参戦している。
レースの舞台となる地獄
開催コースとなるのはレースの名の通り、ドイツのニュルブルクリンク。予選は全長20.832kmの北コースのみで行われるが、決勝はGPコースも連結した全長25.378kmのフルコースで行い、スタート/ゴールラインやピットはGPコースを利用する。
オールドコースとも呼ばれる北コースは、荒れた路面や連続するコーナーから、全開で一周走るだけで“一般公道を800km走るのと同じくらい”ダメージを受けると言われるほど過酷なサーキットである。そこを24時間走り続けると、マシンにかかる負担はあまりにも大きく、レース後半になると、目に見えるダメージを負ったり、そこをテープなどで補修したマシンが目立つ。
マンタ先輩
毎年開催時期になるとSNSなどで騒がれる「マンタ先輩」。
その正体はドイツの自動車メーカー・オペルがかつて製造していたスペシャリティカー、そのレース仕様の「マンタ400」である。
元々はラリー競技に使用していた姉妹車のアスコナ400の役割を引き継ぐ形で製造された車両で(適合クラスはバケモノ揃いのグループB)、当24時間レースにも「同一車種・同一チーム」で非常に長い期間参戦していたことで有名だった。
2010年に行われたレギュレーション改定(製造後10年経過の車両は参戦不可)で一時は参戦が危ぶまれたものの、「伝統を途絶えさせるのは勿体ない」という声が多く寄せられ、レギュレーション適用外になる『主催者招待枠』が新設され、そこに「マンタ先輩」が入ることとなった。
見た目こそ80年代のレース車両だが、中身は当時の競技車両にはなかったシーケンシャルミッションを搭載するなどアップデートを繰り返している『ニュルブルクリンクのアイドル』である。
日本陣営の活躍
初めて日本のチームが参戦したのは1990年で、nismoがスカイラインGT-R(R32)でグループNクラス優勝。翌1991年にもnismoがスカイラインGT-R(R32)でグループNクラス優勝。
1999年から、タイヤメーカーのオーツタイヤが、N1耐久シリーズのチャンピオンチームを母体とした「FALKEN MOTORSPORTS TEAM」を結成して参戦継続中。車種は1999年のR33型日産・スカイラインGT-Rに続き、2000年はGT500仕様トヨタ・スープラで参戦、2001年以降は毎年R34型日産・スカイラインGT-Rのスーパー耐久シリーズ用車両を改造したマシンで参戦し、特に2002年には総合5位に入賞するなどの活躍ぶりだった。2005年と2006年は一度活動を休止したが、2007年から2010年まで日産・フェアレディZで参戦した。また、ファルケンタイヤヨーロッパは他チームへのタイヤの供給も行っている。
トヨタは「Gazoo Racing」として2007年よりニュル耐久選手権を含めて毎年参戦している。参戦初年度の2007年は「Team Gazoo」としてトヨタ・アルテッツァ2台で出走し、110号車が総合104位(SP3クラス14位)、109号車が総合110位(SP3クラス16位)で完走している。
2008年はレクサス・ISを投入し、2009年には当時コンセプトカー段階であったレクサス・LFA(LF-A)を開発を兼ねて持ち込み話題を呼んだ。翌年の2010年にはSP8クラスでクラス優勝(総合18位)を飾り、2012年にも同クラスでクラス優勝(総合15位)を飾っている。また同年にはトヨタ・86も初参戦し、SP3クラスでクラス優勝(総合46位)している。
2011年は日産・GT-Rを使用してドイツの地元チーム「シュルツモータースポーツ」が参戦し、山内一典らの運転でSP8Tクラスのクラス優勝(総合36位)を飾った。
2012年にはGTアカデミーチームの山内一典らが運転するGT-Rが同クラスでクラス優勝(総合30位)した。また同年には、水野和敏率いるGT-Rの市販車開発チームが、GT-Rの開発の一環としてほぼ市販車のままのGT-Rで参戦し、これは極めて異例のことであった。
2014年はSP8クラスにレクサス・LFA、SP3クラスにトヨタ・86が参戦したのに加え、さらに同年より新設されたSP-PROクラスにはLFAをベースとした次世代のスポーツカー技術の研究用車両である「LFA Code X」が参戦、このGAZOO Racingの3台はすべてクラス優勝を果たし「完全制覇」を達成した。
日産は自社のフラッグシップ、GT-RニスモGT3とGTアカデミー初代ウィナーのルーカス・オルドネスや星野一樹などのエースドライバーを総投入して臨んだ。
予選では、山内一典の乗る24号車がクラッシュを喫したが、チームの走りたいという気持ちに動かされたニスモ、日産、RJN、KW、PIAA、Gazoo Racingをはじめとするチーム・メーカーの助けもあって、予選終了の15分前に24号車は息を吹き返し、幸運にも決勝に参加できた。
その後、24号車はGT-R勢最上位の総合10位でチェックフラッグを受けた。
スバルSTIは2008年からWRX STIで参加、いずれも完走し、2011年にSP3Tクラスでクラス優勝(総合21位)、翌2012年にも同クラスでクラス優勝(総合28位)した。