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土御門顕方の編集履歴

2023-12-17 16:06:55 バージョン

土御門顕方

つちみかどあきかた

鎌倉時代の公卿。関東祗候の廷臣。

概要

村上源氏土御門流。通方の子供で通成の弟。土御門定通猶子となる。

建長四年三月、次期征夷大将軍宗尊親王に従って鎌倉に下る。

関東下向後は足利長氏の娘と婚姻している(『尊卑分脈』)。

下向時は正四位下であったが、翌建長五年に従三位、同六年に中納言、正嘉二年に越階して従二位、文応元年正二位、同二年中納言、弘長二年に権大納言へと昇進する。

こうした官位官職は将軍儀礼に反映しており、建長五年八月十五日の鶴岡八幡宮放生会では、唯一の公卿として将軍の牛車の直前に立っている。

他にも垸飯・鶴岡参詣・将軍御成の際に供奉・御簾役を務めるなど、将軍儀礼に頻繁に加わっている様子が吾妻鏡から窺える。

文永三年八月四日、宗尊が鎌倉を追放されたときには息子顕実と共に上洛に同道しており(『吾妻鏡』)、文永五年十二月十七日には出家して山科隠居している(『公卿補任』)。




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