概要
牛や水牛は(馬と比べると)速度を出しにくい代わりに力が強いため、馬車より重い貨物を輸送するため、または馬の飼育が少なく牛や水牛の飼育が多い地域(東南アジアなど)でよく使われた。21世紀の現在もインド等で農業用を中心に活躍中。
一般的な意味では、「ぎっしゃ」「ぎゅうしゃ」どちらとも読むが、「ぎっしゃ」の方が多い。
日本でも歴史上、身分の高い者が乗った牛車(ぎっしゃ)と、京都市街地や京都~大津間などで貨物輸送に使われた牛車(うしぐるま)がある。八重山諸島では水牛が観光用の牛車を引いている。
貴族(公家)の牛車
日本では主に、平安~鎌倉時代に、京都(平安京)で貴族(公家)が乗って移動するのに用いられた。
この場合の読みは必ず、「ぎっしゃ」であり「ぎゅうしゃ」ではない。
のんびりした牛のイメージと、平安時代の貴族が乗用していたというイメージから、一見のろい乗り物のように思われるが、実際には出そうと思えば(すなわち牛を走らせれば)時速30kmくらいは出たらしい。これは現代の自転車でも追いつきにくい速度である。現実の平安貴族の乱暴狼藉ぶりを考えれば納得……いや何でもありません。
なお、当時の日本では道路状況が悪く(広い直線的な官道はあったが、地域的な利用には不便で規模も過大だったために廃れてきていた)、京都の外では輿か馬に乗っていた。自分より高い身分の相手に随行する時も、牛車ではなく馬に乗るのが基本だった。
公家だけでなく、武家でも上層クラスは(京都では)牛車に乗っていたが、南北朝時代以降に次第に廃れ、日本の交通史・乗物史は数百年に渡る停滞の時代を迎える。江戸時代には滅多に使用されなくなっていた。式典や観光以外で使われていたのは、恐らく戦中までが最後である。
構造
車輪の付いた荷車の上に籠を据える。籠は台座となる荷車と縄で結ばれているので動いても落ちない。
荷車の前方の轅(ながえ)の部分に牛をつなげば牛車の出来上がり。
乗り降りは車の左右ではなく前後より行う(左右には車輪があるので、乗り込むのは物理的に無理)。ふつうは前に牛がいるので、後ろ側から乗り降りするのが一般的である。
籠の前後にはすだれが掛かっていて、中にいる人が見えないようになっている。
牛を引いたり鞭打ったりして進ませるための「大童(おおわらわ)」という使用人がそばに付いて運転(?)する。
装飾などにより様々なランクに分かれ、一定以上の官位がないと乗車する事が禁止されていた。
関連イラスト
関連タグ
朧車:顔が付いた牛車の妖怪。