概要
一般には兄弟姉妹の子と、”相続権”のない養子のことをいう。
有名な史実しては、鎌倉幕府第3代将軍・源実朝は兄・頼家の子・公暁を”相続権”のない猶子として扱い、”相続権”のある養子にはしなかったとされる。
20代後半にさしかかろうとした実朝は正室に迎えた坊門信清の娘(後鳥羽上皇の従妹)との間に子をなすことをあきらめ、朝廷の実権を握る後鳥羽上皇の皇子である頼仁親王を次期将軍に迎えることを願い出、受け入れられた。
一説には鶴岡八幡宮において実朝が公暁に討たれたのも、自身が猶子に留め置かれ次期将軍に迎えられなかった恨みが遠因になったとされている。