概要
20世紀末、東欧のユーゴスラビア社会主義連邦共和国にて発生した一連の内戦である。「ユーゴスラビア内戦」とも表記される。
複雑な民族問題と宗教問題が絡み合ったことで、ジェノサイドや民族浄化など悲惨な戦争犯罪が起きたことで知られる。
経緯
前史
ユーゴスラヴィアはもともとクロアチア、スロベニア、セルビア、モンテネグロ、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナの6つの共和国で構成され、しかもそこに5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2種類の文字が存在していた。
これを大統領のチトーが圧倒的なリーダーシップにより1つの国としてまとめていたが、彼が死去したことで民族や宗教間での対立が急激に沸騰した。
内戦勃発
1991年、スロベニア、クロアチア、マケドニアがユーゴスラビアからの独立を宣言すると、1992年にはボスニア・ヘルツェゴビナも独立を宣言。
このうちボスニア・ヘルツェゴビナでは、ムスリム(イスラム教徒)・クロアチア人・セルビア人が独立をめぐって激しく対立し、クロアチアとセルビアが武力干渉したこともあって「ボスニア内戦」と呼ばれる激しい内戦に陥った。
セルビア人は、自分たちが同じセルビア人が主導権を握るユーゴスラビア本国から切り離されてしまうことに反発し、本国からの軍事支援を得て武装。クロアチア人らを攻撃してセルビア人だけの国家にしてしまおうと民族浄化に乗り出し、他民族に対する大量虐殺を始めたのである。
一方、セルビアでは南部のコソボ自治州で人口の大多数を占めるアルバニア系住民がセルビアからの独立を求めたことで「コソボ問題」が発生。
セルビアのミロシェヴィッチ大統領がこれを弾圧すべく民族浄化を掲げ、アルバニア系住民に対する虐殺行為が行われた。これは国際社会の非難を集め、1999年にはNATO(北大西洋条約機構)軍によるセルビアへの大規模な空爆が行われた。しかしこの空爆は多くの一般人も巻き込み、多大な犠牲者を出した。
また、スロベニア独立時にも旧ユーゴスラビア軍との間で「十日間戦争」と呼ばれる武力衝突が起きたほか、クロアチア独立時にも人口の3分の1を占めるセルビア人住民が反発して独立推進派と武力衝突し、さらに旧ユーゴスラビア軍が介入したことで国際問題化、国連が平和維持軍を派遣する事態にもなった。
最終的に国連、EU、NATOも介入した末、2006年にモンテネグロが独立したことでユーゴスラビアは完全に解体された。ただしセルビアはコソボの独立宣言を2023年時点でも認めておらず、対立状態は未だに続いている。
最後に、ここでの解説はかなりマイルドな説明であり、上記の「民族浄化」を筆頭に胸糞悪くなるような要素が多々あるため、ユーゴスラビア紛争の詳細を調べる際はそれなりの覚悟を持って臨むことを強く推奨する。