ピクシブ百科事典

ユーゴスラヴィア連邦

ゆーごすらびあれんぽう

戦後 バルカン半島に成立した社会主義連邦共和国。                       20世紀末から21世紀初頭にかけて勃発したユーゴスラビア紛争によっていくつかの国に分裂。    戦前の“第一のユーゴスラビア”に続いて“第二のユーゴスラビア”とも呼ばれる
目次[非表示]

※この記事は編集中の記事です


概要

7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ。
しかし1つの国家である。

YouTubeのおすすめ動画

https://youtu.be/B6TnwkSw-QM


前史 “第一のユーゴスラビア”

第二次世界大戦終結まで
1918年に終戦した第一次世界大戦ののちオーストリア=ハンガリー帝国オスマン帝国などに支配されていたセルビア人・クロアチア人・スロベニアが独立した国家の形成を目指して“セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国”が成立した。
その頃アメリカ大統領のウィルソンによって民族自決が唱えられたこともあり、同じようにオーストリアハンガリー/チェコスロバキアなどバルカン半島諸国の独立が相次いだ。
当初はバルカン半島に存在したセルビア王国の形を受け継ぐ形?で内政を動かしていた。
1929年、結局はオーハン(オーストリア=ハンガリー帝国の略称)やオスマン帝国の代わりにセルビア人が率いる“ユーゴスラビア王国”が統治するような形となった。ユーゴスラビア王国の設立前クロアチア人などの反セルビア人勢力が反発を示したが主導者の暗殺で最悪の鎮まりをみせた。セルビア王国が西バルカン地域を併合したようなものである。
しかし1939年に第二次世界大戦が始まると戦火は当然ユーゴスラビアにも飛び火し民族浄化を唱える枢軸国によって侵攻され、またしても他国による分割統治を受けることとなってしまったのだった。
しかしそんな中でも諦めずにユーゴスラビアの解放を目指して戦い続けた人物がいる。
のちのユーゴスラビアを統治することになるヨシップ・ブロズ・チトーである。
チトーはパルチザン(ユーゴスラビア解放戦線)を率いナチス・ドイツなどに根強く抵抗し終戦後になってようやく自力でのユーゴスラビアの解放を果たすこととなったのである。


ユーゴスラビア連邦の歴史

第二のユーゴスラビア


ユーゴスラビア紛争



政治/地理

首都

ベオグラード

都市

サラエボ
リャブリャナ
スコピエ
ザグレブ

構成国/自治州

クロアチア社会主義共和国
スロベニア社会主義共和国

セルビア社会主義共和国

 ヴォイヴォディナ社会主義自治州
 コソボ社会主義自治州
ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国
マケドニア社会主義共和国
モンテネグロ社会主義共和国

文化/伝統の分布

民族分布

言語分布

宗教分布

文字の分布





後史

新ユーゴ (セルビア=モンテネグロ)

第三のユーゴスラビアとも呼ばれる。

セルビア

セルビアにて開催されたチャリティーイベントへの寄稿イラスト!




あとがき



関連タグ

関連記事

親記事

ユーゴスラビア ゆーごすらびあ

兄弟記事

コメント