ユーゴスラヴィア連邦
ゆーごすらびあれんぽう
※この記事は編集中の記事です
東欧にかつて存在した国家。複数の共和国、民族、宗教で構成されており、「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字」とも評される1つの国家である。社会主義国でありながらソビエト連邦と対立しており、東西冷戦の狭間で他国に侵略されるかもしれないという危機感と、終身大統領チトーの強いリーダーシップのもと、多民族国家でありながら国家の統一を維持していた。
20世紀末、チトーの死と東西冷戦終結により、民族意識が高まったことで構成国が次々と独立。ユーゴスラビア紛争と呼ばれた悲惨な内戦を経て、2006年までに全構成国が分離し、ユーゴスラビア連邦は完全に解体された。
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第二次世界大戦終結まで
1918年に終戦した第一次世界大戦ののちオーストリア=ハンガリー帝国やオスマン帝国などに支配されていたセルビア人・クロアチア人・スロベニア人が独立した国家の形成を目指して“セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国”が成立した。
その頃アメリカ大統領のウィルソンによって民族自決が唱えられたこともあり、同じようにオーストリアやハンガリー/チェコスロバキアなどバルカン半島諸国の独立が相次いだ。
当初はバルカン半島に存在したセルビア王国の形を受け継ぐ形?で内政を動かしていた。
1929年、結局はオーハン(オーストリア=ハンガリー帝国の略称)やオスマン帝国の代わりにセルビア人が率いる“ユーゴスラビア王国”が統治するような形となった。ユーゴスラビア王国の設立前クロアチア人などの反セルビア人勢力が反発を示したが主導者の暗殺で最悪の鎮まりをみせた。セルビア王国が西バルカン地域を併合したようなものである。
しかし1939年に第二次世界大戦が始まると戦火は当然ユーゴスラビアにも飛び火し民族浄化を唱える枢軸国によって侵攻され、またしても他国による分割統治を受けることとなってしまったのだった。
しかしそんな中でも諦めずにユーゴスラビアの解放を目指して戦い続けた人物がいる。
のちのユーゴスラビアを統治することになるヨシップ・ブロズ・チトーである。
チトーはパルチザン(ユーゴスラビア解放戦線)を率いナチス・ドイツなどに根強く抵抗し終戦後になってようやく自力でのユーゴスラビアの解放を果たすこととなったのである。
首都
ベオグラード