曖昧さ回避
本稿では2.について解説する。
概要
CV:はやし・こば
スタジオジブリ制作のアニメーション映画『千と千尋の神隠し』に登場する湯屋「油屋」へとやって来た、八百万の神々に類する一柱(ひとはしら)。
油屋の新入り・千尋(千)が従業員として初めて応対する事になったお客様。
来店時には凄まじい悪臭を放つ屁泥(ヘドロ)の塊のような姿から、腐れ神・オクサレ様と誤認されていたが、仕事に不慣れであるがゆえに愚直な接待に徹した千尋の奮戦によって本来の姿を取り戻す。
作中では、千尋の報告から正体を察した湯婆婆によって「名のある河の主」と称されており、スタッフロールでは「河の神」と改めて表記されている。
外見
翁の面を思わせる顔に、清流のような質感をした白水色の半透明な胴体と、獣を思わせる何対かの足と一尾を持つ。
総じて神妙な姿をした龍神であった。
よきかな…
詳細は不明ながら悲惨な姿で風呂を求めてやって来た事、従業員を総動員して引きずり出された大量のゴミから、本来の住処である河川への不法投棄や堆積したヘドロによる汚染でオクサレ様の如き姿へ墜ちてしまった河の神様、水神のたぐいと推察される。
凄惨な外観のせいで来店時には由緒ある神様という判別もつかず、油屋としてはお帰り頂く手筈だったが、偶然が重なり対応を押し付けられた千尋にはなす術も無く、店内へと上がり込まれてしまう。遠巻きに様子を窺う従業員たちの視線を浴びつつ案内を務める千尋に連れられ、通路にヘドロを撒き散らしながら風呂場へと通された“オクサレ様”は、緩慢な動きで浴槽へと飛び込む。
汚れた湯は“オクサレ様”の巨躯で浴槽から押し出され、辺り一面にヘドロを垂れ流すばかりで惨憺たる有り様だったが、千尋はとある経緯で手に入れていた足し湯の札を使って“オクサレ様”の要望に応えようと奮闘。浴槽へ登ろうとして足を滑らせヘドロに突っ込んだ千尋は、供給され始めた薬湯を浴びる“オクサレ様”に掬い上げられると、その巨体から奇妙な「棘」が生えている事に気がつく。
千尋の報告で神の正体を察した湯婆婆は縄を用意して一端を「棘」に結ばせると、手隙の従業員たちを呼び寄せて棘を引き抜くべく音頭を取り、風呂場の吹き抜けに掛け声が響き渡る。やがて千尋の目の前に飛び出してきたのは、ヘドロにまみれた自転車のハンドルだった(現実世界から迷い込んだ千尋だからこそ、触り慣れた「何か」への違和感を強く抱いたのかもしれない)。
“オクサレ様”の身体からは次々とガラクタがあふれ出し、浴槽の縁に立つ千尋が最後の釣り糸を引き抜くと、どこかから息をつくような声が響き、辺りが静まり返る。
ほどなくして湯船から現れたのは、神々しいまでの笑みを浮かべた翁の面だった。
「よきかな…」
油屋の待遇に御満悦となった河の主(河の神)は、来店時に渡した前払いの御代に加え、流れ出たヘドロや川砂に紛れた大量の砂金を残していた。
(この「追加料金」にざわつく湯屋一同の反応から、姿を隠していたカオナシが幻術で砂金を作り、油屋へ世話になろうと思い立ったきっかけになった)
湯婆婆は高貴な神様の御帰りに備えて上層階の大窓を開けさせ、千尋を湯船から下がらせる。千尋が一礼して距離を取ると、間もなく弾けるように湯船から飛び立った神は龍のような巨躯を現し、吹き抜けの渡り廊下をぐるりと一回転して窓から軽やかに去っていった。
呵々と響き渡る笑い声からは、軽くなったその身を歓喜し心の底から安楽を感じている様子が窺える。
そして一番の功労者、醜い姿になってしまった自身へ真摯に接待をしてくれた少女へ、感謝の意が込められた品「ニガダンゴ(苦団子)」をそっと授けていった。
備考「河≧川」の神様
『河』と『川』の原義は殆ど同じく💧海に向って流れる水の地形💧を指す。
その細かい差異として―
🌊河:水の流れが大きく幅の広い地形
🌊川:水の流れが小さく幅の狭い地形
つまり千尋(千)が初めて御世話をした神様は、その神々しく長大な外見のように、元は雄大で古来から在る主であったと想像される。
そして彼女にとって「流動する水の中に抱かれる」感覚は、忘れていた「思い出」が徐々に蘇る契機の一つとなったのだろう。
あの夏に出会った神秘の存在に…。