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藤原道綱の編集履歴

2024-01-14 22:32:41 バージョン

藤原道綱

ふじわらのみちつな

藤原道綱とは平安時代の公卿。

生没年 955(天歴9)年~1020(寛仁4)年

官位 正二位 大納言

摂政関白太政大臣を務めた藤原兼家の次男。母は「蜻蛉日記」の作者として有名な藤原道綱母。異母兄に摂政・関白を務めた道隆、異母弟に関白を務めた道兼や摂政・太政大臣を務めた道長などがいるが、庶子の為兄弟たちのような出世は出来なかった。


経歴

前述のように庶子である為、6歳下の道兼が986(寛和2)年に、11歳下の道長が987(永延元)年9月に公卿となったのに対し、道綱は道長と同じ年の11月に公卿となるなど既に差が出ていた。

995(長徳元)年に道隆と道兼が相次いで亡くなり、道長が実質的な頂点に君臨した後は、997(長徳3)年に大納言に、1001(長保3)年に正二位にすすみ大納言の筆頭となるが、そのあとは左大臣の道長、右大臣の藤原顕光内大臣藤原公季による体制が15年続いたことで出世も頭打ちになってしまった。

1020年に病気のため出家し同年亡くなった。


人物

学識者として知られた藤原実資は「一文不通(何も知らないやつ)」「漢字も自身の名前しか読めない」と記しており、政治的・文学的才覚に乏しいことがうかがえる。


外部リンク

藤原道綱 - Wikipedia


関連タグ

公卿 藤原北家 平安時代


上地雄輔NHK大河ドラマ光る君へ』にて、道綱を演じる。

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