※中世時代はロマネスクの服装のローマ皇帝である、このロマネスクは東ローマ帝国皇帝モデルである
(ロマネスクというのは東ローマ文明風文化のことである)
なじみやすい中世風の服は結構後なのだな・・・。
甲冑姿が多いのはインペラートル(最高司令官)の名残だと思われる。(甲冑姿のアウグストスの延長線上の行為)
表記
英語:Holy Roman Empire ホーリローマンエンペラー
ドイツ語:DER KAISER ダス・カイザー(カイザー)(実際は皇帝の正式称号ではない。)
ラテン語表記:IMPRATOR AVGVSTVS
正式称号
カール時代
- 至尊なる尊厳者、神により戴冠されし、偉大にして平和的な、ローマ帝国を統治する皇帝(皇帝名)
中盤から
- 神の恩寵による『神聖なるローマ帝国』の絶対者(皇帝名)
概要
神聖ローマ帝国の元首たるローマ皇帝の『通称』
ヨーロッパ諸国の歴史ではこの帝爵は、カール大帝(シャルルマーニュ)から始まりオーストリア帝国のフランツ・ヨーゼフ1世までとされる。
複雑な即位方法
ローマ教皇から戴冠する矛盾
『神聖ローマ皇帝』の帝位はカール大帝以来カトリックローマ教皇から戴かなくてはならない。神により戴冠されしの神はキリスト神であり、その神に一番近いのは地上ではカトリックのローマ教皇だからである。
ヨーロッパの貴族
皇帝が教皇から帝位を授かるようになると、神聖ローマ皇帝以外にもヨーロッパの爵位や王位のお墨付きをもらうにはローマ教皇を通さないといけないという状況になってしまった。事実上ローマ教皇が世俗の中世ヨーロッパキリスト世界の最大権威となってしまった時代がある、中世ヨーロッパの内戦は大体このローマ教皇と貴族や騎士とのつばぜり合いである。
オリエンタル地方の『ローマ帝国(ビザンツ帝国)ローマ皇帝(ビザンツ皇帝)』は神聖ローマ皇帝を『ローマ皇帝』と承認せず東ローマ帝国の『ローマ皇帝』は『神聖ローマ皇帝』という『ローマ皇帝』を滅亡まで認めなかった。
理由としてはなどがある。
しかし神聖ローマ皇帝率いる神聖ローマ帝国も強力な帝国になってくると、弱体の一途をたどる東ローマ帝国がかつての『大ローマ帝国』であるということが信じられなくなっていったのである。そしてヨーロッパ世界でも時がたつにつれローマ帝国だと思わなくなっていった ギリシア帝国などは当時の名称に近い
『ビザンツ帝国』命名
結局神聖ローマ帝国の高名な歴史学者が、その『東ローマ帝国』を『ビザンツ帝国』と明記したのをきっかけに、この国は『ビザンツ帝国』なんだと納得するにいたったようである.
なので今日はビザンツ帝国・ビザンツ皇帝などビザンチンと呼ばれるにいたる。
『ローマ皇帝】を選ぶ選挙がある
神聖ローマ皇帝はなぜか決まらないことが多く、そのたび大貴族の中から選挙で選ぶことが慣例だった時代もある。その選挙にでる貴族のことは特別に選帝公という爵位がある
絶対権力者?
上記のように『皇帝を選挙で選ぶ』ような元首であるから絶対権力者であるはずの(そう思われている)ローマ皇帝の基盤は意外に脆弱であったようだ。ハプスブルグ一族が確かに500年以上神聖ローマ皇帝をほぼ手中に収めている、これはローマ皇帝的かはよく分からない。ハプスブルグ家の習慣がローマ皇帝になっている感じがするからである。
ドイツ王・ローマ王はこのローマ教皇から『戴冠』されていない神聖ローマ帝国元首のことを指すが、なぜかこの場合の方が強力な君主の場合が多い
※フランツは実際はオーストリアの領土しか国家維持できなかったが、権力の系譜は『神聖ローマ皇帝』を引き継いでいる。
関連
カール大帝・・・ヨーロッパ世界最初の『ローマ皇帝』
フランツ・ヨーゼフ1世 ヨーロッパ世界の最期の『ローマ皇帝』(けっして東ローマ帝国ローマ皇帝ではない)
その他1
ナポレオン3世・・・フランス最期の君主にして最期の『ローマ皇帝』
ニコライ2世・・・ロシア帝国最期のロシア皇帝にして最期の『ローマ皇帝』