概要
カール大帝とは、中世フランク王国の国王。後にローマ教皇の認定によりローマ皇帝として戴冠したので、ローマ皇帝、あるいは西ローマ帝国の皇帝とも呼ばれる。初代神聖ローマ皇帝として数えられることもある。カロリング朝フランク王国ピピン3世の子。
カール「大帝」というのはシャルルマーニュ(仏: Charlemagne)のドイツ語読み「カール・デア・グローセ(Karl der Große)」を意訳した表記。直訳すると「偉大なるカール」または「偉大王カール」となる。
他にカルロ・マーニョ(伊: Carlo Magno)、カロルス・マグヌス(羅: Carolus Magnus)、チャールズ・ザ・グレート(英: Charles the Great)など。どの国でも、名を表すカールに相当する語の後にその偉大さを讃える二つ名が続いている。
現在の西ヨーロッパと呼ばれる地域のほぼ全てを制圧し、「ヨーロッパの父」と呼ばれる。
カール大帝の築いた西フランク王国(フランス)と東フランク王国(ドイツ)の後裔国家において自分たちの建国者、国家的英雄と捉えられており、フランス語読みのシャルル大帝、ドイツ語読みのカール大帝で呼ばれることが多い。
主な経歴
カールがフランク王となった当時の西欧は、様々な外敵に脅かされ、混乱していた。スペインはイスラム教徒の支配が続き、しばしば現代でいうフランスにまで侵入している。これに対してカールの祖父カール・マルテルはトゥール・ポワティエ間の戦いでウマイヤ朝を撃退したこともある。また東からはザクセン人、アヴァール人などがそれぞれ現代でいうドイツ、ハンガリーに侵入してきている。イタリアでは東ローマ帝国の弱体化に伴ってランゴバルド族が各地を征服し、ローマを包囲するなどしてローマ教皇を脅かした。
このような情勢の下、カールは長年の遠征で西はスペインの一部、東はドイツに至るまで領土を広げた。イタリアでは773年、ローマ教皇ハドリアヌス1世がカトリック教会の権威復興と保護を求め、カールに援軍を要請した。カールの父王ピピン3世も教皇ザカリアスによってフランス王となる大義名分を与えられ、メロヴィング朝を倒して自らのカロリング朝を樹立し、「ピピンの寄進」を行って教会を保護した。このような経緯からカールも父王に倣ってカトリック教会を自分の統治に利用する。かくして774年にランゴバルド王国を滅亡させ、ローマ教皇の保護者となる。西方では778年にイスラム教徒の内紛に乗じてスペインに遠征する。これにはロンスヴォーの戦いで敗れ、後世に脚色されて『ローランの歌』という叙事詩の素材となる。だが795年にはピレネー山脈の南側にスペイン辺境伯領を設置することに成功する。801年にはバルセロナまでフランク王国は拡大した。東方では791年にアヴァール族を討ち、804年にザクセン族を服属させるなどドイツ東部にまで領土を広げる。これらは、西ローマ帝国崩壊後のヨーロッパの秩序を回復する偉業であり、後の西欧社会の原型がここに出来上がった。
カトリック教会は彼の功績に対してローマ皇帝の称号を与え、全キリスト教信者の庇護者と顕彰した。この事件は、のちのち歴代の皇帝と教皇が互いに相手を利用し合い権力闘争を繰り返すことにも繋がった。一方で東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は、カールの戴冠を認めず、彼をフランク皇帝と呼んでローマ皇帝とは認めなかった。カール自身も東ローマに配慮して自らローマ皇帝を名乗ることは、避けたと言われる。
カールの後継者
カールは自らの死に際し、王国を3つに分割して子供(それぞれカール若王、ピピン、ルートヴィヒ)に相続させた(しかしカール若王とピピンは直後に相次いで亡くなった為、結果的には末っ子のルートヴィヒが単独相続する事となった)。
やがて「敬虔帝ルートヴィヒ1世」としてカール大帝の後を継いだルートヴィヒも840年に亡くなり、その際にも彼の3人の息子に分割相続され、かくして広大なフランク王国はそれぞれ西フランク王国、東フランク王国、中フランク王国の3つに分裂した。以降は相続領や皇帝位を巡る息子達の間での争いや再統一・再分裂を繰り返すなど不安定な情勢が続いたが、これらはそれぞれ後のフランス王国、神聖ローマ帝国(後にネーデルラント、オーストリア、プロイセン、スイスなどが分かれる)、イタリア諸国を形成した。
このようにカールの築いた王国は、ヨーロッパの様々な国に分かれていったのである。
取り分けフランスは、カール大帝をフランスの英雄と位置づけ、シャルルとフランス語読みで呼び、神聖ローマ帝国に対抗しようとした(また敬虔帝ルートヴィヒ1世の仏語読みである「ルイ」の名も後の歴代フランス国王に引き継がれていった)。
対する神聖ローマ帝国は、自らこそフランク王国の後裔国家と位置づけ、ヨーロッパ全土の支配者として振る舞おうとした。
フランスとドイツの対立は、ヨーロッパ史にたびたび戦火を招いた。
カールの築いた平和が、カールの栄光を奪い合う骨肉の争いに結びついたのは、皮肉と言わざるを得ない。
カロリング・ルネサンス
カールは、フランク王国をキリスト教帝国にしたいと考えていた。
すなわち統治の安定には、国民に宗教を浸透させ、教会にも優秀な人材を育てさせることだと考えた。
アーヘン大聖堂は、カールの文化振興のシンボルとして世界遺産となった。
人物
学者兼伝記作者のアインハルトによると容姿は小太りの長身(195cm)で髪はふさふさとした銀髪、少し甲高い声であった。
馬術・狩猟・水泳が得意で特に水泳は宮廷に温泉プールを作るほどに熱中したらしく一族部下がおよそ100人ほど集まることもあったがそれでも誰も彼に勝てなかったという。
また文字の読み書きは出来なかった。ただしラテン語やギリシャ語を習い前者は自由に会話できていたとのこと。読書、というより聴書も好み神学者アウグスティヌスの著作『神の国』が特にお気に入りだったらしい。
五度の結婚の末20人位の子供に恵まれている。大変な子煩悩で娘達を溺愛するあまり他国へ嫁がせる事を許さなかったという。
(そこから後世において娘達との近親相姦説が語り継がれている)
その他
トランプ
トランプのハートのキングのモデルとされている。
シャルルマーニュ伝説
中世文学にてシャルルマーニュとそのパラディン達は多くの作品の題材となりブリテンのアーサー王伝説、ギリシャ神話(ローマ神話)、ローマの歴史に並ぶほどの人気を誇った。
ジョワユーズ
別表記:ジュワユーズ、ジュワユース、ジュワイユーズ
シャルルマーニュ伝説にて彼が所持していたとされる剣。
詳細は該当記事を参照。
ガロセフェレ
カール大帝が異教徒の王ガラフより授かった剣。
創作物におけるカール大帝
英雄戦姫
Fateシリーズ
カール大帝名義でルーラー、シャルルマーニュ名義でセイバーのサーヴァントとして登場。
それぞれカール大帝(Fate)、シャルルマーニュ(Fate)を参照。
ドリモグだァ!!
第1シリーズのラスボスとして登場。