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ディディエ・ドログバの編集履歴

2024-04-03 15:23:12 バージョン

ディディエ・ドログバ

でぃでぃえどろぐば

ディディエ・ドログバは元サッカー選手。チェルシーなどでプレイした。元コートジボワール代表。

概要

ディディエ・イヴ・ドログバ・テビリー(Didier Yves Drogba Tébily, 1978年3月11日 - )とは元サッカー選手。現役時代はイングランドプレミアリーグチェルシーFCなどでプレイした。元コートジボワール代表。その輝かしい実績と後述の経緯から同国では英雄視され圧倒的な人気を誇る。


経歴

コートジボワールの最大都市、アビジャンに生まれる。裕福な家庭に生まれ、エリート教育を施したいの判断で5歳でフランスに移住。元サッカー選手だった叔父の影響でサッカーを始める。学問のみならずサッカーでも頭角を現し、19歳でル・マンUCとプロ契約する。

その後、2001-02シーズン途中からギャンガンに移籍。2003-2004からはリーグ・アンのオリンピック・マルセイユに移籍するなど順調にステップアップを重ねていく。


マルセイユ在籍中に出場したUEFAチャンピオンズリーグで対戦したFCポルトの監督、ジョゼ・モウリーニョの目に留まる。モウリーニョがチェルシーの監督に就任した2004年にチェルシーに移籍した。それ以降、現在に至るまでモウリーニョを恩師として慕う。

チェルシー移籍後4度のプレミアリーグ優勝、4度のFAカップ優勝、1度のCL優勝とチームは数多くの栄光をつかむ。個人としてもプレミアリーグ得点王を2度獲得するなど数多くの栄光を手にした。


2012年、チーム初のCL優勝を置き土産にチェルシーを退団。バイエルン・ミュンヘンとの決勝戦では同点となるヘディングを決め、最後のPK戦では優勝を決めるPKを決めた。

その後は中国トルコなどのクラブを転々とした後2014年に一年限定でチェルシーに復帰。出場時間は短かったものの貴重なベテランとしてプレミアリーグ優勝に貢献した。


2018年、現役引退を発表した。


その他

内戦を止めた男

母国コートジボワールでは2002年以降内戦が続いており、泥沼化していた。そんな中、2005年10月、コートジボワール代表は初となるFIFAワールドカップ本戦の出場を決めた。出場を決めた試合の後、ドログバはチームメイトと共にカメラの前に跪き、コートジボワールの国民にこう訴えた。

「コートジボワールの皆さん。北部の人も、南部の人も、中央部の人も、西部の人も。私たちは、今日、どの地域の出身者であっても共存し、W杯出場という同じ目標に向かって、一緒にプレーできることを証明しました。この喜びは、人々をつなぐものだと信じています」

「私たちは、ひざまずいて、心からお願いします。許しあってください。アフリカ大陸にある我々の豊かな国が、内戦状態に陥り続けていてはいけません。お願いです。武器を置いてください。選挙を行いましょう。そうすれば、すべてが良い方向に進みます」


この年、コートジボワールでは選挙を実施、2006年ドイツワールドカップの翌年に内戦は終結した。


2010年、アメリカ『タイム』誌の「世界で最も影響力のある100人」の中に選ばれた。


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