概要
広島県広島市にある原爆遺構。正式には「広島平和記念碑」と称される。
1915年に「広島県物産陳列館」として建築され、戦時中には「産業奨励館」と改称。1945年8月6日、米軍による広島への原爆投下に際し爆心地至近(約150m西方)にあったため元の建物の中央ドーム部分を残して破壊された。
天井部が銅でできており、まずそれが熱線で溶けて、そこへ次いで来た爆風が真上から建物を通過したため破壊を免れたとされる(広島市公式サイト「原爆ドームは爆心地にとても近いのに、どうして崩れずに残ったのですか(FAQID-5817)」)。
横方向の爆風を受ける形となった周囲の建物は軒並み吹き飛ばされ、壁の厚さが1メートル以上にも及んだ堅牢な「島病院」すら玄関の柱二つを残して瓦礫の山と化した。
なお当時、建物内には職員などが30人ほどいたが、全員即死したものと見られ、当直で被爆直前に家に帰宅した1名のみが被爆直前の産業奨励館を知る生き証人となった。
終戦後、周囲の復興が進む中、唯一破壊されたままの姿で取り残されていた。
一時は「原爆のことを思い出したくない」という声もあり解体の話も出ていたが、1995年に国の史跡に指定。翌1996年12月、ユネスコにより世界遺産(文化遺産)として登録された。
この際、アメリカ合衆国と中華人民共和国はそれぞれの政治的理由により登録に反対あるいは審議棄権をしている。
登録に際し、採択された世界遺産の登録基準は項目6「顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの」のみである。
ユネスコの世界遺産委員会は、この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと考えており、それ故にこの項目のみで登録された原爆ドームは国内の世界遺産としては特異な存在である。
ただし、この世界遺産登録基準6のみで登録された世界(文化)遺産は世界中にはいくつか存在する。そしてその殆ど全てが通称「負の世界遺産」と呼ばれ、戦争や人権被害など、世界史上における人類の負の側面を如実に現した遺産である。
創作作品では、やはり広島原爆を題材とした作品で象徴的な扱いを受けている。
「はだしのゲン」ではゲンとクソ森が決闘で原爆ドームに登る場面があるが、実際にも終戦直後は子供たちの遊び場になっていた。しかし、転落事故で子供が死亡したことから市によって立ち入り禁止になった。
また、ゴジラvsキングギドラでは、キングギドラが広島を襲撃した場面に映し出されている。
なお現在では学術調査や保存工事などを除けば、一般人にはほぼ立ち入り禁止となっている。