解説
第二次世界大戦期、あるいは大祖国戦争期のソ連が戦力外になっていたT-70軽戦車の車体を流用して開発・運用した自走砲。対戦車自走砲としても用いられた。
軽装甲だが火力・機動力に優れ、ソ連赤軍の迅速な機動戦によく適応した。
開発
性能不足のT-70 | 背面装甲の無いSU-76主量産型 |
ソ連での自走砲開発は1930年代から続いていたが、砲兵科との折り合いが付けられずに頓挫することが多かった。
しかし、第二次世界大戦が始まるとドイツ軍のIII号突撃砲の活躍に刺激されて研究が進み、独ソ戦が始まると前線では一台でも多くの戦闘車輌が求められた。
そこで設計されたのが、低性能で重要度の低かったT-70軽戦車のシャーシにZiS-3 76mm野砲を搭載するSU-12およびSU-15。
1942年中にSU-12はSU-76として、SU-15はSU-76Mとして量産されることとなった。
当初の生産型では戦闘室は密閉式とされたが、砲の排煙がこもる問題が発生したため、後に上部および後部の装甲は省かれた。
戦史
SU-76は1943年のクルスクの戦いの頃から実戦投入された。
赤軍にとって安価な自走砲を大量に調達・運用できる事は有意義だったが、最大30mm厚程度の軽装甲で防御力が低く、敵戦車との戦闘に駆り出されると簡単に撃破されてしまうことから、赤軍兵士たちには好まれなかった。
それでも、機動力のある野砲、すなわち自走砲としての本分を果たすにこの性能は十分で、終戦まで各地で赤軍の突破力・防御力を支えた。
実際に、大戦末期のバラトン湖の戦い(1945年3月)ではドイツの精鋭SS機甲部隊を相手に巧みな機動防御戦を展開、攻勢を阻止した。
最終的に、1945年の生産終了までに16,000輌以上が量産され、戦後はワルシャワ条約機構加盟国をはじめとする東側の各国に供与された。